柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「新しい神殿」ヨハネ2章13-22節

大寒の寒い時期ですが、やがて暖かい春が来ます。私たちも、心が喜びに満ちる楽しいときが訪れるのです。冬に枯れた木から新芽が出てくるそこに春の喜びがあります。
イエス・キリストの復活もまた大きな喜びです。


1,復活の希望

福音書が聖書の中にあります。福音書とは喜びのおとずれの書という意味です。
聖書が私たちに伝えているのは、お金が儲かったり病気が治ったりするだけではありません。永遠の命が与えられることを伝えているのです。「人はたとい全世界を儲けても自分のいのちを損してしまったら何の徳になろうか」とイエス様は言われました。自分のいのちを失うことほど大きな損はないのです。くれぐれも自分のいのちを失わないように気をつけましょう。
しかしまた、その逆にイエス様は「わたしを信じるものはたとえ死んでも生きる」約束されました。イエス様は私たちに永遠のいのちを与えて下さいます。それだからこそ「イエスが死人の中からよみがえられたとき」弟子たちは、イエス様の神殿の話を思いだし、命のよみがえり―復活を信じたのです(22節)。


2,神殿の意味

エルサレムに大きな神殿が建てられていました。ヘロデという王様が、46年かかってもまだ完成しないような大きな神殿でした。なぜそんなに神殿が大切だったのでしょうか。
実はそれには、事の起こりがあります。「過越しの祭り」と13節にあります。その起源は、エジプトからイスラエルの人たちが脱出することにありました。彼らは奴隷でした。来る日も来る日もレンガを焼いていました。ついには神様に叫び声を上げて、エジプトを出たいとお祈りしたのです。神様は彼らの祈りを聞かれ、指導者モーセを建てて、エジプトの王パロに願い出ました。しかし、彼はなかなか聞きませんでした。ついに、神様はエジプト中の初子を打つと言われました。ただし、柱と鴨居に羊の血を塗っているところは災いが過ぎ越すと言われたのです。イスラエルの人たちは、小羊の血を取って柱と鴨居にぬり、災いをのがれたのです。そして、今でもそのことを記念し過越しの祭りを行っているのです。
ですから、神殿は神様にいけにえを献げる神聖な所でした。ところが、そこに全世界から大勢の人が来て、いけにえの羊や牛、鳩を買うということでなんと神殿の中は市場と化したのです。それをイエス様は怒られたのです。
一見すると暴力的ですが、イエス様は人に暴力を振るっていません。追い出したのは、羊や牛です。しかも、細なわですから、全くいたくありません。「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と言って追い出されたのです。ですから、一つも暴力は振るっておられません。言葉で諭されたのです。
そのときユダヤ人たちは、反発しました。そんなに大口をたたいて、言う権利がどこにあるのか言って見ろと反発したのです。
そのときにイエス様は、神殿を壊したら三日で建てますと答えられたのです。それが、証拠であると言われたのです。しかし、その神殿とは、ヘロデ王が46年かかって建てている神殿のことではなく、ご自分のからだの神殿のことを言われたのです(21節)。


3,新しい神殿

実は私たちにも、それは関係があります。聖書を見ますと私たちの身体は神の聖なる神殿であると言われています(?コリント3:16)。ですから私たちは、この身体を神の聖なる霊が宿る神殿として大切にしなければならないのです。私たちの身体も心も神の宮として、清くしなければなりません。
私たちの心をきよめるものは何でしょうか。それは、イエス様の十字架です。私たちの罪を赦すために、私たちの心の罪を取り除くために、イエス様は十字架で血を流されました。私たちの心の汚れ罪は、石けん水で洗い流すことはできません。しかし、十字架の血によって私たちの心は罪が洗い、清められるのです。意地悪な心や、言うことを聞かない邪悪な心を、悪いものを取り除き、そして心がきれいになり、私たちの罪を赦し、愛して下さるイエス様に感謝を献げるものとさせていただきましょう。


       (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)