柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「祈り、いやし、賛美」マタイ21章12-16節

 このところは、イエス様が十字架にかかられる前にエルサレムに入城し、神殿に入って言われたことばです。
 神殿は聖なるところですが、実際にどんなことが必要なのかをこの箇所から学ばせて頂きたいと思います。


1,祈りの家
 イエス様は、宮すなわち神殿は祈りの家と呼ばれると言われました。だれに祈るのか。もちろん神様です。神様に祈りを献げるべきところが神殿です。神殿では犠牲が献げられました。感謝のささげ物もあれば、罪に対する贖いの犠牲も献げられたのです。それが神殿の本来あるべきすがたでした。
 ところがそこで、売り買いをしていた者たちがいたのです。遠い外国から来る人たちもいました。その人たちの便宜を図るために、両替や鳩を売る人たちがいたのです。先程の犠牲を献げることや、お金を献げる場合は聖所で用いるシェケルを両替する必要があったのです。それらはすべて人に対する便宜でした。そしてそれが目立っていたのです。おそらくは法外な値段で商売をし、それをまた祭司長などに便宜を図ってもらう賄賂として利益の一部を渡していたかもしれません。イエス様はそのような不正をも見抜かれ、神殿は祈りの家であると言われたのです。私たちもまず、このことを覚えたいと思います。今は神殿ではなく教会ではありますが、何よりも教会が祈りの家であることを心に意識して、祈るものでありたいと思います。


2,イエス様のいやし
 そして、神殿のところには目の不自由なひとや足の不自由な人がいました。これらの人たちは、旧約聖書の律法によるならば神殿の中に入れない人たちでした。しかしイエス様はその人たちをとがめるどころか、いやされたのです。この人たちを「あなた方はここに来るべきではない」と追い出されたのではありません。イエス様は憐れみ深く、まずそのような人たちを近づかせ、排除することなく、いやして下さる方です。もちろん教会の中にもイエス様はおられます。私たちは象徴的に十字架を見ますが、今もイエス様は私たちを憐れみ、いやされます。私たちは、霊的に盲目であり、行動するのに足がなえているようなものかもしれませんが、イエス様は私たちを見えるようにして下さり、また実行できるように癒やし、強くして下さる方です。


3,賛美を喜ばれる
 宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫んでいました。それはイエス様がエルサレムに入城するとき、大人たちみんなが「ダビデの子にホサナ」と叫んでいたのをまねしたのではないかと思われます。
 子どもは純真です。思ったことをすぐに口に出します。そして、その言葉には喜びがあります。イエス様こそ、ダビデ王の子孫であり、来たるべき救い主である。バンザイと叫んでいたのです。しかし祭司長や律法学者はイエス様をねたみ、憎んでいました。ですから、子どもの叫びに対しても反対していたのです。  
 しかし、イエス様は詩篇8編の御言葉を引用してそれは神様が「幼子や乳飲みの口に子に賛美を用意された」と言われたのです。
 私たちも教会で神様に賛美をますます献げるものでありたいと思います。幼子のように素直な心で、イエス様をほめたたえるならば神様はますます喜ばれ、私たちに祝福を与えて下さいます。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)