柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「救いの輝き」詩篇34篇1-7節

いよいよ春たけなわ、ゴールデン・ウイークのときとなりました。行楽で出かけられる方も多いかと思います。しかし、神様はそれに勝るところの喜びと、救いの勝利を与えられます。


1,神をほめたたえる

イスラエルの王となったダビデは、先の王サウルにいのちを狙われ、荒野にのがれました。それこそ、食うや食わずの生活を強いられ、ついにはイスラエルの敵であったペリシテ人の地まで落ち延び、敵の王の前で精神に異常をきたしたもののように振る舞わなければならないほどであったのです。
そのような苦しみの中で、彼は主をほめたたえたのです。神をほめたたえることは、私たちに取っても大きな力となります。バビロン捕囚から荒廃したエルサレムに帰還したネヘミヤは「主を喜ぶことはあなた方の力です」(ネヘミヤ8:10)と言って、イスラエルの民を励ましました。そして、神殿は再建され、エルサレムは復興したのです。
私たちも苦しみのとき、悲しい時に「主よ、感謝します」と声に出して言うなら、私たちに神様は力を与えられ恵みに満たされ、弱さに打ち勝ち困難を克服していくことができるのです。
パウロはピリピの町で伝道した時、捕らえられ無実の罪を着せられて鞭打たれ、牢屋に投げ入れられました。それでも彼はくじけませんでした。その牢の中で彼は何をしていたでしょうか。神をほめたたえていたのです(使徒16:25)。そして、彼らはその牢から出ることができたのです。それどころか、看守の家族も救われピリピの町には教会までできたのです。
主をほめたたえるなら私たちにも力が与えられ、困難を乗り越えていくことができるのです。


2,主を仰ぎ見る

主とは、神であり救い主のことです。私たちは誰を仰ぎ見るのでしょうか。もちろん、天におられる栄光の主を仰ぎ見るのです。しかし、その栄光の主とは、イエス・キリストのことです。キリストを仰ぎ見るとは、すなわち十字架に架けられたイエス・キリストを仰ぎ見ることです。
イスラエルの民が荒野を旅している中で、神様に対し不平不満を言ったことがありました。すると、赤い毒蛇が荒野から出て来て多くの人を噛み、死なせたのです。そのとき、モーセは神様に赦しを祈り求めました。神様は「銅の蛇を作りそれをサオにかけて仰がせよ、仰ぎ見たものは癒される」と言われたのです。それを仰ぎ見たものは皆癒され、救われたのです(民21章)。それは十字架の表れでした。十字架には、私たちをいやし、強め、永遠のいのちに与る救いを得させるものです。


3,主を恐れる 
ここに出てくる「恐れる」とはもっと厳密に言うなら、「畏れ敬う」ことです。主人を怖がる奴隷のような姿ではなく、神によって造られた人間が、造り主である神様を心から崇め、敬う姿です。私たちが、主を畏れる時、驚くべき御業が現されます。エリシャが敵の大群に囲まれた時、ひるむことはありませんでした。なぜなら、さらにその周りを天の軍勢が取り囲んでいたからです(?列王6:17)。私たちも守られます。神の恩寵、恵みに取り囲まれて生きることができるのです。


     (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)