柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「天に宝を積む」ルカ12章33-34節

欧州の経済危機がニュースで知らされていますが、日本もこの先どのようになるのか不安定な状態です。地上に宝を蓄えても命の保証にはなりません。しかし、信仰による救いはあらゆる困難に打ち勝つ力を私たちに与えてくれます。


1,思いわずらいからの解放

34節でイエス様は「あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです」と言われました。自分が一番大切だと思うところに、自分の心があると言うことです。
もし、私たちの心が地上のものにあるとするなら、私たちの心の目はそちらに向かってしまいます。そして、それが自分の人生の中心になってしまうのです。
エス様はマタイの福音書4章で、悪魔から試みを受けられました。一つは、石をパンに変えることです。そして、もう一つは高いところから飛び降りて、天使に支えられることでした。そして、最後にサタンはこの世の栄光を見せました。
もし、それらのものに、イエス様が目を奪われていたら私たちは救われなかったでしょう。イエス様はいつも何に目を留めておられたでしょうか。それは、父なる神様に目を留めておられました。どんなに忙しいときでも、どんなに疲れておられても、父なる神様に祈り、交わりを持っておられました。そして、父の御心に最後まで従われたのです。
エス様は、十字架の死に至るまでも従順でした。それにより、私たちは、イエス様の十字架の死、身代わりの死によって救われたのです。私たちの命を救うものは、お金でも、権力でも、この世のすばらしいものではありません。ただ、イエス様の十字架によって私たちは救われるのです。
困難があっても、私たちには解決が必ず与えられます。患難も苦しみ迫害も私たちをキリストから、引き離すことはできません。いつも、十字架のキリストを見続けることによって、どんなことにも私たちは勝利していくことができるのです(ローマ8:35)。神様が私たちの心に平安を与えて下さり守って下さるのです(ピリピ4:6~9)。


,天に宝を積む

私たちの教会の2階に一枚の絵が掛けられています。それは聖書から題材を取った、「富める青年」の絵です。マタイ19章にその話があるのですが、彼は「永遠の命」を求めました。小さいころから十戒を守り、人も愛していると言いました。ところがイエス様が「持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります」と言われたのですが、彼は「はい、そうです」とは従えなかったのです。彼の心は、自分の持っている富、財産に執着していました。いわば、その富が彼の神のようなものであったのです。これがあれば、大丈夫だ、お金があれば生きていられる美味しいものも食べられる。大丈夫だと思っていたのです。その実、人を愛することには、欠けていたのではないでしょうか。彼は空しく去っていきました。
それとは対照的に、ルカの19章には収税人ザアカイの話が出ています。彼も金持ちであり、金と力に執着していた人でした。しかし、イエス様を家に迎え入れたことによって、彼は変えられ、貧しい人に財産を分けてあげる人に変わったのです。
イエス・キリストには力があります。人を愛し、惜しみなく自分の財産をも分かち合うことのできる人に変えられるのです。金の奴隷になっていたザアカイも、イエス様を迎え入れ、救われました。その結果、彼は立ち上がり、自分の財産半分を貧しい人に分けてやり、不正で取り立てた金も四倍にしてみんなに返したのです。まさに彼は、イエス様が言われたように、施しをし「天に宝を積み上げた」のです。


           (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)