柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「恵みは尽きない」詩篇100篇1-5節

柏原教会創立80周年記念礼拝

「恵みは尽きない」詩篇100篇1-5節
  宣教者:川原崎 晃 師(神戸中央教会牧師)



この詩篇は、礼拝における招詞として用いられることが多く、何かホッとさせられ、安らぎを覚えるとともに、熱く躍動するものを感じさせられます。主の恵みは尽きないからです。

1.主の恵みの深さゆえに

『・・・声をあげよ。・・・主に仕えよ。・・・御前に来たれ。・・・知れ。・・・入れ。・・・御名をほめたたえよ』(1〜4節)と命じられています。それに緊迫感や圧迫感を感じないのは、理由があります。私たちは、主に造られ、主のものとされ、主に導かれる者とされたからであり(3節)、『主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る』(5節)からです。この主は、今も変わらない神であられ、イエス・キリストが十字架という罪の赦しの門を通って、私たちを救い、神のものとしていてくださいます(ヨハネ10章1〜2節)。

この豊かな恵みに与かっている者は、『感謝しつつ』主に礼拝をささげるのです(4節)。生ける神を讃え、崇め、感謝し、信頼し、従っていく礼拝生活こそが、本来の人としての姿なのです。

私たちは、神が成し遂げてくださったこと、備えていてくださること、成そうとしておられることを「一つ一つ感謝する」ことが大切です。その中でも、主イエス・キリストの十字架と復活のゆえに、神のものとされているとの揺るぎない事実こそが、感謝の源です。それゆえに、キリストのために苦しむことをも賜っていることを感謝できるのです(ピリピ1章29節)。何よりも、『・・・すべての事について、感謝しなさい。・・・』(第一テサロニケ5章16〜18節)ということこそが、根源的な主への感謝なのです。

感謝できる人生は、力強い人生です。そうした人生の場が、教会に与えられているのです。



2.主の恵みに徹するゆえに

従って、『喜びをもって主に仕えよ』(2節)とは、当然の信仰の応答なのです。私たちは、喜びをもって主を礼拝し、喜びをもって主に仕えることに、喜びを見い出したいものです。

ただ、環境が整ったら、条件が良くなったら、主に仕えることができるのではありません。喜んで主に仕えることのてきる条件は、ただ一つです。ダビデが罪赦され、聖別された時に、『・・・あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私を支えますように』(詩篇51篇10〜12節)と告白しています。欲望は人を縛り、不自由にさせます。私たちが、権力欲からも自由にされていないと、仕える喜びは溢れてきません。このように、罪だけが、救いの喜びを奪ってしまいます。贖いの主を崇めていないと、復活された主を全ての中心に置いていないと、臨在の主に主権をお渡ししていないと、喜んで仕えることができないのです。そのために私たちに求められる霊性は、『砕かれた、悔いた心』(詩篇51篇17節)であり続けることです。

私たちは、『喜びを抱きて主に仕えよ』(詩篇100篇2節、文語訳聖書)との御言葉に促がされ、『霊に燃え、主に仕えよ』(ロ−マ12章11節)との御言葉に奮い立たされる日々でありたいものです。

主の御前の喜びは、全地にふさわしいのです。