柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「活ける水」ヨハネ7章37-39節

お祭りというのは大変楽しいものです。イスラエルでもお祭りがありました。ここに出てくるのは仮庵の祭りという祭りです。

それは秋、収穫が終わったころに、イスラエルの人たちが感謝し神殿で礼拝し、特に祭司たちがシロアムという池から水を運び、神殿の祭壇に注ぐと言う儀式を行っていました。

その時、イエス様は大声で叫び、本当に私たちを潤す水のことを話されたのです。


1,たましいの渇きを癒す水

エス様は、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」と言われました。イエス様の言われたことは喉の渇きのことではありません。心の渇き、たましいの渇きのことです。ヨハネ福音書4章ではサマリヤのスカルの井戸に行かれた時、一人の女と会い、彼女に「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」(4:14 )と約束されたのです。この女は先に5人の夫があり、その時は結婚しないで同棲していました。人生に満足も喜びもなかったのです。ところが、イエス様にお会いして、自分の人生が満たされていないことがわかり、その後イエス様を信じることによって心満たされ喜び、その後勇んで町に出かけ、多くの人にイエス様のことを伝えたのです。そして、サマリヤの町で大勢の人が救われました。私たちの心をイエス様はいやして下さり、命の水をもって満たして下さるのです。


2,人を癒す水

旧約聖書でエジプトを脱出したイスラエルの民は、荒野をさ迷いました。それは不信仰の故でした。そして水はなく、喉は渇き、死にそうでした。その時、神様はモーセに命じて、杖で岩を打つように言われました。モーセがその通りにすると、何と岩は割れて、水がほとばしり出たのです。そして、イスラエルの民は生きることができました。

水は、喉の渇きを癒すだけではありません。人に命を与えるものです。人間には水なしで生きることはできないのです。そして、その水は人を活かします。神様は私たちに命の水を与えて下さるのです。世界で一番出版されている本は聖書です。その事によって多くの人が聖書を手にし、いのちに与ることができるのです。神の御言葉―聖書には、たましいを癒し命を与える力があります。


3,聖霊の川が流れる

仮庵の祭りは、別名収穫祭です。取れた穀物を喜び、神様に感謝を献げます。特に、ユダヤ人は奴隷の地エジプトを脱出し、草木も生えない荒野を旅し、喰うものにも飲む水にも苦労しました。豊かに与えられることは彼らにとって大きな喜びであったのです。
その喜びは、肉体的なものだけではありません。私たちには心があり、生きる希望、将来が大事です。人間とは先を見て、進むもの生きるものです。将来の喜びがなければ人生は空しいものです。
神様は私たちに大きな霊の収穫を与えて下さいます。それは、聖霊が働かれ、全てのものが悔い改め救いに導かれ、救われる約束です。その事はペンテコステの日にエルサレムで起きました。それは終わってはません。なぜなら、生ける水の川は流れ続けるのです。川が増水し氾濫し、肥沃になると収穫が多くなります。エジプトの豊かさはナイル川の氾濫があったからです。豊かな水と栄養がナイル川の氾濫によってもたらされ土地は肥え、作物は多く実ったのです。私たちにも、たましいの収穫が与えられます。聖霊によって、活ける命の水が川々となって流れ、たましいの豊かさが与えられ、多くの聖霊の実を結ぶときが来るのです。


              (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)