柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「我らの望みキリスト」イザヤ9章6節

クリスマスはイエス・キリストの御降誕をお祝いする時です。イザヤは今から約2,700年前ユダヤの国今のイスラエル預言者として活躍し、キリストの誕生を預言しました。9章6節には来るべき救い主の姿が語られています。


1,素晴らしいカウンセラー

まず、第一に不思議な助言者とありますが、英語ではワンダフル・カウンセラーとあります。カウンセラーに求められることは、よく聴くことではないでしょうか。イエス様は私たちの悩みや悲しみ愚痴であってもよく聴いてくださる方です。「心にもだえあらばイエスに話せ」と聖歌にありますが、イエス様は私たちの愚痴や不満も聞いてくださり、それだけではなく慰めてくださり励ましてくださる方です。


2,力ある神

そして第二には「力ある神」と呼ばれます。それは天地万物を自ら創造された大いなる神です。英語ではマイティー・ゴッドとあります。何でもできる神です。日本の八百万の神のように、これはできるけどあれはできない神ではないのです。何でも自らができる神です。
ですから、この方は私たちに頼られません。私たちはこの方のお世話をする必要はないのです。むしろ私たちを世話してくださり、養い必要を与えてくださる方なのです。
そして神は、偉大な勇士です。私たちとともにおられて、敵と戦われるのです。私たちに勝利を与えてくださる方です。もし私たちの人生に戦いが多いなら、この方の助けを得るべきです。この方によって私たちは人生の勝利者になることができるのです。


3,永遠の父

第三に「永遠の父」と呼ばれます。父とは特別な意味があります。子どもを守るものであり、子どもを養い育てる者です。それが、父親の大切な役割です。真の救い主も、私たちを愛し見守り、育んでくださる方なのです。
しかもそれは永遠にです。今だけではなく、いつでも、どんな時にでもです。それはまさに、ルカ15章に出てくる放蕩息子の父親の姿です。来る日も来る日も、父は放蕩息子の帰りを待ちました。帰って来たときは大喜びで自分の方から駆け寄り、抱きしめ、最上の服を着せ靴を履かせ息子としての指輪を与えました。そして大喜びで「死んでいたのが生き返った」と言い、大宴会をしたのです。それくらいに罪深い私たちを無条件で愛してくださる方なのです。


4,平和の君

平和はヘブル語で、シャロームと言います。これには、平安という意味があります。さらには満ちているという意味があります。すなわち、シャロームは、戦争がないから平和だというのではなく、たとえどんな状態にあっても満ち足りている、溢れているという意味です。それはたとえ今、戦争のさなかであっても心の中は平安でいっぱいであるという姿なのです。
エス様はその平安を私たちに与えると言われました。そして、御自身もその平安に心は満ちあふれて十字架にまで従われたのです。さらには苦しみの十字架の上で、自分を十字架につけた人たちをも赦し、祈られました。キリストこそ平和の君、私たちに平安と充足を心に満たして下さるお方なのです。
この方によって、私たちは豊かないのちに与り、物質的にも霊的にも豊かな生活をする者とさせていただきましょう。


      (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)