柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「約束を信じる」ローマ4章19-25節

神様は私たちに、救いと祝福の恵みを与えて下さいます。それは信仰の父と呼ばれたアブラハムから始まっていることです。


1,現実を認める

アブラハムは、生まれ故郷を去り神の約束されたカナンの地に移り住みました。神は彼を祝福の基とされました(創世記12:1~3)。しかし、一つだけ彼に足りないものがありました。それは彼の世継ぎがいないと言うことでした。
妻サラは自分の側女をもって子を得ることを勧めました。しかし、それは後の家庭不和となってしまったのです。アブラハムは完全な人ではありませんでした。他にも失敗をしています。しかし、神様はそのような彼を選び愛され、祝福の基とされたのです。
神様が私たちに求めておられることは、完全無欠の人間になることではありません。もしそうであったなら、完全なロボットを造られたことでしょう。では神は私たち弱い人間に何を求めておられるのでしょうか。それは、信仰です。たとえそうであったとしても、信じるという信仰です。
ですから、19節にはアブラハムは自分が死んだも同然であること、そしてサラの胎が死んでいることを認めた、とあります。認めた上で、なおも神様は約束の子どもを与えて下さるとアブラハム信じたのです。それが、信仰です。彼は年をとり体も弱りましたが、信仰は弱らなかったのです。私たちもそうでありたいと願います。信仰が弱らない生涯を全うさせていただきたいのです。


2,堅く信仰に立つ

彼は現実を認めました。老いた事実を受けいれざるを得ません。それが、現実ですから。私たちも、信仰を現実逃避の道具にしてはいけないのです。むしろ、信仰は棒高跳びの棒のようなもので、それによって私たちは高くあげられ、問題を乗り越えていく困難をクリアしていくのです。神様は私たちに強い信仰を与えて下さいます。
ですから、アブラハムは跡継ぎがいないその現実から逃げませんでしたし、それによって不信仰に陥って神を疑うことはしなかったのです。彼がいつも見ていたのは何だったでしょうか。不可能な現実だったでしょうか。そ腕はありません。彼はいつも神様を見ていました。それが勝利の秘訣です。
エス様も同じです。いつも父なる神様にお祈りされていました。父なる神様を心の目で見ながら、交わりをされていたのです。ですから、この世の困難という現実に惑わされることなく、神に従い御心を全うされたのです。アブラハムも同じです。20節を見るなら、「信仰がますます強くなって、神に栄光を帰した」とあります。
私たちも、神様と毎日交わるべきです。それができます。聖書を読むことと祈ることによって、アブラハムやイエス様と同じように神様に交わり、信仰を強めていただくことができるのです。なぜ信仰が弱いのか、それを行っていないからです。御言葉と祈り、それによって私たちの信仰は強められます。


3,アブラハムの祝福を受ける

アブラハムは待ち望みました。神様が約束を実現されることを待ったのです。それは忍耐のいるものでした。しかし、神様は約束を必ず成し遂げられるお方です。アブラハムへの祝福を神様はもう一度確認されました(創世記18:18,19)。彼は神を信じることによって義と認められました。神に正しいとされたのです。
そして、私たちもこの世に遣わされたキリストによって義と認められます。すなわち、十字架によってキリストはすべての罪の代価を支払い、私たちを父なる神に執り成し、和解させて下さったと信じるなら、私たちは無条件にすべてのことが赦され、神の国―天国に入ることができるのです。
私たちはやがて来る艱難から、そして永遠の滅びから逃れなくてはなりません。いったいだれが私たちを永遠の滅びから救い出してくれるのでしょうか。それは、イエス・キリストです。キリストこそ死んで甦られた、唯一死に打ち勝たれた方です。この方以外に救いはありません。救いうる名はこの方以外にないのです。
私たちもまた、ただキリストを信じ永遠の滅びから救われ、更に神様の豊かな恵み祝福にあずかるものとさせていただきましょう。


           (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)