柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神のいつくしみに生きる」ローマ11章16-24節

今クリスマスのシーズンです。神様の救いが伝えられる良い時です。


1,信仰の継承

今、地球の人口は70億以上ありますが、キリスト教人口は23億くらいと言われています。しかし元々は、ひとりの人が救われた所から始まっています。アブラハムがその人です。彼は神を信じた、それが彼の信仰の義と認められた、そこからキリスト教はスタートしました。
ですから、キリスト教は当たり前かもしれませんが、信じることによって救われる教えであると言えます。何よりも信仰がベースです。それ以外にありません。お金や行いは救われるためには必要ではないのです。「心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(ローマ10:9)。アブラハムはまさにそのようにして救われました。
そして、彼は祝福の基となったのです。彼は荒野で生活しましたが、彼ほど豊かで恵みに満ちた人はありませんでした。肥沃な低地に住んでいた甥のロトを救うためにも、荒野から駆けつけ敵を打ち破り、勝利を得たのです。そして、彼は生涯テント生活をし、天国を終の棲家として待ち望み、信仰のはせばを駆け抜けていったのです。
そのあとに続いたのが、イサクでありヤコブでした。彼らもまた、それぞれに神との出会いがあり、信仰の体験があったのです。ですから、信仰の継承は個人個人が自分のこととして体験していくものです。


2,信仰の木の枝

信仰をパウロオリーブの木の枝で例えました。オリーブは地中海で栽培されている、油をとるための木です。日本では小豆島が有名です。中には樹齢100年ほどの木もあるそうです。しかも、まだ実を実らせているそうです。
枝の中のあるものが折られ、とありますが、神に選ばれたユダヤ人のことを指します。確かに彼らは選ばれましたが折られたのです。残念ながら、アブラハムの信仰を継承できなかったのです。信仰による義ではなくて、形骸化した、行いによる義によって神に近づこうとしたのです。しかし、残念ながらそれは不可能なことです。かえって、彼らは選民意識が強くなり、かたくなになって、神に従う道から外れてしまったのです。それが罪です。罪と言う言葉は、的外れ、それていってしまうことです。そしてついには、偶像礼拝に陥り、神様からの豊かな恵みと祝福を失ってしまったのです。
折られたことの典型的な事実は、バビロン捕囚とユダヤの国の崩壊です。国を失い、ユダヤ人は全世界に散らされていきました。しかし、これはまた、不思議な神様の計画であり、神に選ばれなかった異邦人が救われることになったのです。救いは先にユダヤ人に示されましたが、彼らはこれを拒んで、イエス・キリストによる救いが全世界に伝えられたのです。その一つの表れが、クリスマスです。全世界で、キリストの降誕がお祝いされています。こんなことは他の宗教ではありません。それ以上に、一般的にとけこんでいるのです。それは、野生のオリーブの枝が、素晴らしい木に接ぎ木されて、豊かに成長し実を結ぶためです。
私たちの救いのために、このようになっているのです。神の計画は、私たちが考える以上に壮大なものです。


3,信仰に立つ

神に選ばれたユダヤ人とクリスチャンの違いは何でしょうか。その答えは20節にあります。ユダヤ人は不信仰によって折られ、クリスチャンは信仰によって立っていると言うことです。
何を信じる信仰かと言えば、イエス・キリストを信じる信仰によって生きているのです。パウロはそのことをガラテヤ2:20で告白しています。
私たちは、イエス・キリストを信じる信仰によって罪が赦され、十字架の血潮によって聖められ、神のものとされたのです。
16節にある「聖い」とは、神のものとなったと言う意味があるのです。
根から養分が吸い上げられ、枝は豊かな実を結ぶことができます。アブラハムの信仰を持てば私たちも祝福の基となることができるのです。
私たちは改めて、ユダヤ人の歴史すなわち聖書を読んで、神のいつくしみときびしさを知らなければなりません。そして、私たちは信仰によって選び取るものとなります。私たちは信仰によって神のいつくしみに生かされ、神のうちにとどまって、ガラテヤ5:22〜23にある聖霊の実を豊かに結ばせていただきましょう。


       (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)