柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「真の平和」エペソ2章14-16節

今年は戦後67年になります。争いは愚かなことです。破壊以外の何ものでもありません。たとえ争いに勝ったと言っても、失ったものの代償は大きいのです。聖書は私たちに、「真の平和」を示してくれます。


1,隔ての壁がある

エペソは、小アジア(現在のトルコ)の地中海岸沿いにある港町です。色んな国の人たちがいたと思われます。地元の人や、アジア人、ギリシャ人、ユダヤ人など様々な人たちがいました。 その中で、救われる人たちも起こされました。ユダヤ人も救われてクリスチャンになりました。しかし、彼らの心の中には、プライドがあったようです。自分は神様によって選ばれた、アブラハムの子孫である。しかも、旧約聖書のことも知っているし、信仰の基礎となることもよくわかっていたという自負心があったと思われます。現に、エルサレムの神殿でも、異邦人の庭というのがあって、そこまでは異邦人は入れるがそこから先には行けない、ということがあったのです。それが、隔ての壁でした。同じ神様を信じても、そのような区別がありました。
私たちにもまた、壁があると思います。年齢、性別、地域、国民、民族。様々な相異があり、確かに壁を感じることもあるのではないでしょうか。
その壁がトラブルとなり、争いとなってしまうのです日本は今、戦争はありませんけれども、色んな事件が多発しています。決して、平安ではない世の中にいるのです。


2,キリストが私たちの平和である

(1)隔ての壁が壊される。
かつて、東ドイツのベルリンには、壁がありました。一つの町でしたが、壁によって東西に分けられました。しかし、改革が起こり、その壁は崩されたのです。また、東欧諸国も共産主義から民主主義国家に変わりました。何よりも、ソビエト社会主義をやめて民主主義国家ロシアに変わったのです。その役割は、キリスト教会が大きな影響を与えたと言われます。無益な争いがなく平和のうちに移行したのです。

(2)十字架の解決
隔ての壁が取り除かれるために、一つの犠牲がありました。それは、キリストが十字架で死なれたことです。私たちは、壁があります。自尊心という、プライドの壁があったり、自分の思いを成し遂げたいという、欲望があるのです。自分の意地を通すような自我があります。神からまったく離れ、自己中心の道を歩んでいたものでした。
やがては、それ故に滅びに向かっていたものを、神様は私たちを愛し救われるのです。
私たちは何によって救われるのか。十字架によって救われるのです。キリストは、私たちのすべての敵意、憎しみ、争い、怒りを十字架の上で、ご自分の肉体をもってすべて受けとめ、敵意をご自分の死をもって滅ぼされたのです。ですから、私たちが十字架を信じるなら、私たちの心の中にある敵意も十字架によって葬り去られてしまうのです。
その解決方法は、まず、自分が罪人であることを認めます。そして、自分のその罪を、イエス・キリストが十字架で受けとめて下さり、死んで下さったと信じることです。そうするなら、私たちのすべての罪は十字架によって葬り去られるのです。信じるなら、私たちのうちには罪はないのです。


3,キリストが生きて下さる

そして、私たちはもはや、異邦人もユダヤ人もありません。イエス・キリストによって、新しい人に造り変えられるのです。すなわち、私たちの心の王座に、死んで甦られたキリストが座して下さり、私たちを導いて下さるのです。ですから、もはや私たち、一人一人が主ではなく、私たちの主はイエス・キリストであることを告白することです。それを認め、宣言し、従うことです。
そうするならば、私たちは新しい生き方ができるのです。互いに違いはあっても、イエス・キリストによって一つとなり、神を崇め、賛美する人に変えられるのです。ハレルヤ。


  (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)