柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストに信頼する」ローマ10章1-11節

日本には仏教の影響が生活にも及んでいます。盆休みもその一例です。しかし、ほとんどは周りの影響や習慣的なものが多く、本当の信仰を持っている人は非常に少ないのではないかと思います。
また、かつてパウロが信じていたユダヤ教も救い主を待ち望むと言いながら、真の救い主イエス・キリストを受け入れない現実があったのです(ヨハネ1:1)。パウロの願いはまず、同族の人たちが救われることでした(1節)。そして、パウロはさらにすべての人が救われることを願い、神により異邦人宣教に用いられることになりました。


1,人間の限界

パウロもそうでしたが、ユダヤ教の信仰の熱心な人たちは何に対して熱心であるべきかはわかっていませんでした。「鰯の頭も信心から」と言うことわざがありますが、何でも信じたらよくなるものではありません。大切なことは、何を信じるかということです。その答えは、11節にあります。「彼すなわちキリストを信じるものは、失望させられることがない」と聖書ははっきりと言っています。それは、昔から現代に至るまで真実であります。そういうわたし自身も信じて、今日まで失望させられませんでした。むしろ、神様は助けて下さり、あまたの困難も乗り越えることができたのです。大なり小なりの困難をすべて神様は解決を与え乗り越えさせて下さったのです。「彼に信頼する者は,失望させられることがない」のです。
ところが、ユダヤ人は神様を信じているといいながら、また救い主を待ち望みながら信じようとはしませんでした。彼らの最大の失敗は、3節にあるように「自分の義を立てる」所にあったのです。それは、私たちのも同じことです。私たちも自分の義を立てる、すなわち、わたしは悪くない、わたしが正しいと主張することです。それは、アダム・エバ依頼の人間にある罪の性質です。決して自分で謝らない、お詫びしない、そのような弱さがすべての人間にあるのです。


2,人間のむなしさ

お盆の風習は、先祖を供養し、そのために死んだものが帰ってくると言う考えにあります。迎え火とか送り火と言った風習もあります。しかし、その魂・霊はどこから来てどこへ行くかだれもわかりません。魂をもう一度餓鬼道や倒懸の苦しみに帰してやって良いものでしょうか。
ユダヤ人の心の中にも、いったいだれが天国に行けるだろうか。だれが、地の底永遠の滅びに行くのだろうかと心配していたのです。それは、ヨハネ3章に出てくるユダヤ人の指導者ニコデモにも同じ不安がありました。しかし後、彼はイエス・キリストを自分の救い主と信じ救われたのです。
パウロもまた、魂の救いを求めていました。彼ほど優秀かつ行動力の伴った人はいません。しかし彼とても、まじめに生きる人生に行き詰まりを感じ、むなしさが彼の心を支配していたのです。
しかし、彼はむなしさの解決を見つけました。それが、キリストです。6節のキリストを引き降ろすとは、十字架のことであり7節のキリストを死者の中から引き上げるとは復活を意味しています。自分の努力で天国に入ることや、自分の失敗・罪で地獄に行くことを悲しむのではなく、十字架によって赦されて天国に入り、キリストの復活によって死の力に勝利していくことです。


3,キリストを信じる

「みことばはあなたの近くにある」とありますが、今の時代ほど聖書が身近にある時代はないと思います。日本でも自由に手に入りますし、隠れたベストセラーと言われています。
最も大事なことは、御言葉の中心であるイエス・キリストを信じることです。聖書で言われている救いは、このイエス・キリストを信じるなら、永遠の滅びから救われて、永遠のいのちすなわち天国には入れるのです。
9節を見れば、その方法が記されています。口でイエスを主と告白し、心でイエスの復活を信じるならだれでも救われるのです。難しいことはありません。心で信じ、そして口で告白する、言うなら救われるのです。


       (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)