柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神よりの愛」第1ヨハネ4章9-10節

母の日は日頃お世話になっているお母さんに感謝をするときです。実は教会から始まりました。

今から100年ほど昔、アメリカのヴァージニア州ウエブスターの小さな教会でジャービスという夫人が子どもたちに聖書の話をしていました。それは、旧約聖書出エジプト記に出ている十戒です。その中に、「あなたの父と母を敬いなさい」という言葉が出てきます。
ジャービス夫人は子どもたちに尋ねました。「お父さんやお母さんを敬う、何か良い方法はないですか」その中に、ジャービス夫人の娘アンナもいました。彼女はこの言葉を聞き、それが深く印象に残ったようです。
それから何年もたちジャービス夫人は天国に召されました。その後、教会でジャービス夫人の記念会が持たれました。その時、アンナは思い出しました。お母さんが小さい子どもたちみんなに「あなたの父と母を敬いなさい」とお話をし、「あなたはお父さんお母さんを敬う、何かよい方法はないですか」と尋ねていた。お母さんに何をしてあげたら喜ぶだろうかと考えたのです。彼女はお母さんが大好きだったカーネーションの花を教会にいっぱい飾りました。そして記念会が終わった後、出席者にそのカーネーションをプレゼントしました。もらった人たちは心に深い感銘を受けたそうです。それが母の日にカーネーションを贈る習慣になったのです。

母の日はキリスト教会から始まったのですが、そこには不思議な神様の働きを思わずにはおれません。しかも、母の日は年に一度のことですが、母親が自分の子どものことを思う思いは一年中です。その母の愛に子どもが生かされているまた、守られているということは何と幸いだろうかと思います。
ある神学者は「神はご自分の愛を徹底するために母をつくられた」といったそうですが、確かに子を思う母の愛ほど麗しいものはありません。


1,人の愛

人間の愛は、どちらかと言うと自己中心の愛ではないかと思います。自分を愛するものは愛することができますが、自分に嫌なことをする人や迷惑な人を愛することはできません。口では愛するといってもそれは自分本位の愛であり、自分にとって良いものは自分の力でもって「惜しみなく奪う愛」なのです。


2,母を通しての愛

しかし、母親の愛はまたちがいます。たとえ自分の子が出来が悪くても、病弱で肉体的欠陥があったとしても、逆にその子に愛を注ぐことがあるのです。
そして母の愛のもう一つの特徴は無私のあいです。ただ子どもの幸せを願って、自分が省みられることを望みません。自分がこれだけしてあげたからこうなって欲しいとも思わないのです。ひたすら子どもの幸せを願ってそれをおこなうのです。
ただ人間の愛は完全ではありません。子を捨てる親もあれば、これだけやってあげたのに少しは親の言うことを聞いたらどうか、と言ってしまうのです。


3,神からの愛

しかし、神様の愛は愛される値打ちのない者を愛して下さる愛です。イエス・キリストは私たちの失敗や罪、咎あやまちを十字架の上に負ってくださり、私たちのためにいのちを捨てて下さったのです。ここに本当の愛があります。
あなたのために、イエス・キリストは喜んで恥を受け、苦しみを共にして下さり、いっさいの咎を自分の身に負って代わりに支払って下さる方です。この方の愛は変わりません。そしてその愛は永遠に続くのです。
私たちも「私は神様に愛されている」、その喜びと確信に満たされた人生を歩ませていただきたいと思います。


         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)