柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「変わらない約束」イザヤ54章10節

今日はシュロの日です。イエス様がエルサレムに入場された日です。ここから受難週が始まり、十字架の日に至ります。神様の私たちに対する救いの計画を見ていきたいと思います。


1,人は当てにならない

当時のユダヤの人たちは、イエス様を偉大な預言者、奇跡を行う人として見ていました。そして、この日ロバの子の背中に乗って入られたイエス様を彼らは「ホサナ」と叫んで歓迎したのです。ホサナは王様バンザイという意味があります。そして、人々は沿道に集まり、イエス様の通られる前にシュロ(ナツメヤシ)の葉を敷き詰めました。中には自分の上着を脱いで、砂埃の立つ沿道に強いた人もありました。それほどまでに人々は歓迎したのですが、一週間も経たないうちに、彼らはイエス様を死刑にしたのです。人の心は当てになりません。動きやすいものであり、人の言葉に左右されるものです。
ローマ帝国の権威を持ったピラトでさえも、民衆の声に引っ張られて無実の方を罪と定めてしまったのです。人間の力は当てにはならないのです。


2,変わらぬ神の愛

しかし、神様は変わらない方です。たとい「山が移り丘が動いても」と聖書にありますが、山は不動のシンボルです。武田信玄の旗印―風林火山の中にも、動かざるは山のごとしとあるように山は動かないものです。しかし、今はちがいます。山も削られ、団地が建てられてすっかり変わってしまうことがあります。
たとえ、山や丘が動いても、神の愛は移らないと神様は言われています。ここで「愛」という言葉が使われていますが、特別な意味があります。言葉の意味としては、「慈しみ、誠実、よいこと」なのですが、神様が絶対的な愛をもって愛される意味があります。人間の愛は変わりやすいものです。
自分に親切にしてくれたり、困ったりしているときに助けてくれる人は愛せます。しかし、そうでなければ愛せないという弱さがあります。自分にとって価値があれば愛せるけど、そうでなければ愛せない弱さがあります。 
神様はそのような方ではありません。たとえ私たちが裏切り、神様を失望させることがあっても、「私の愛はあなたから移らない」と言って下さるのです。神様の愛は永遠であり、変わらない愛なのです。


3,平和の契約

私の平和と聖書に出てきます。それは、争いがない、戦争が起こらないというだけではありません。むしろ、心の平安、また栄えるといった豊かさを表すものです。天地創造をされたとき、神様は「生めよ、増えよ、地に満てよ」と言われ、すべての造られたものが増え広がっていったのです。そのような繁栄が私たちにも与えられるのです。
私たちの必要なものは、この世の朽ち果てていくような繁栄ではなく、しぼむことなく、どのような困難があっても豊かに満たされる心ではないかと思います。
神様は私たちに契約されるかたです。約束されたらそれを必ず、誠実に守り実行される方です。
神様に対する私たちの信仰はまさに契約です。知らないうちに信じて、何かわからないけど天国に行けるというものではありません。
救いは約束なのです。契約です。私たちは契約するとき、条件を確認してから署名捺印します。私たちに対する救いは、イエス様の十字架です。十字架によって自分の罪がすべて赦される。そのことを信じるなら神様は私たちにその約束を確実に実行されるのです。どんなに愚かで、神様を患わせることをしたとしても、神様は私たちを愛して下さり、守って下さるのです。それが神様の契約です。
そのことを私たちは聞いて信じ、心に受けいれるだけです。「神様の愛は変わらないし、移らない、平和の契約は動かないんだ。神様は必ずやって下さる」そう信じることにより、私たちの心に愛が注がれ、平安が与えられ私たちは不動のものとなることができるのです。
たとえこの地が動き、騒ぎ立つことがあっても、私たちは神の変わらない愛を豊かにいただき、平安で心を満たしていただきましょう。


           (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)