柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主の日を待ち望む」2ペテロ3章9-13節

東日本が未曾有の大地震に襲われ、早1ヶ月が経ちました。復興が速やかになされることを祈るものです。

世界的に大きな災害が起こり、また民族の紛争もあります。聖書を見るならこれは終わりではなく始まりであると言っています。イエス・キリストは弟子たちに尋ねられて終わりの日の様子を語られました。それはマタイの福音書24章に出てきます。

この大変な時代にあって私たちはどうすべきか今日の聖書箇所から見ていきましょう。


1,神に悔い改める

終わりに近いときには「不敬虔なもの」たちが現れることを聖書は告げています(3節)。そして彼らは「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。創造の初めからのままではないか。」と言うのです。
それはちょうど、旧約聖書の創世記ノアの箱舟が出てくる時代と同じようです。ノアの周りにいた人たちも、神様については全くの無関心でした。しかも、ノアが箱舟を造っているのは、ばかげたことだと相手にもしなかったのです。しかし、箱舟が完成し、大雨が降り大洪水になったとき人々は箱舟の入り口に殺到しました。残念ながら、扉はすでに閉まっていたのです。6節にあるように洪水で滅んでしまったのです。
神様の御心は何かというと「ひとりでも滅びることを望まず」におられるのです。神様はいたずらに主の再臨の日を延ばしておられるのではなく、忍耐をもって不敬虔なものが神様のもとに立ち返って来ることを待っておられるのです。それこそ、放蕩息子を待っていた父親のように、今日帰ってくるか、明日帰ってくるかと待っておられるのです。
私たちのすべきことは、「悔い改める」すなわち自分の進むべき方向を神へと変えることです。いままで、自分の考えや思いで生きてきたなら、自分を造ってくださった神様が喜んで下さるにはどうしたらいいのか、考えて行動することです。また心に、これは悪いことだと思うものがあるなら、それをやめ、また神様にお詫びして、赦していただくことです。罪の告白なしに赦されることはありません。しかし、私たちが心からお詫びして神様に赦しを求めるなら、神様は真実なお方であり私たちの過ちを赦して下さる方です(?ヨハネ1:9)。


2,聖い生き方をする

終わりの日イエス・キリストが来られ、すべてのものを裁かれる日がいつかは誰もわかりません。思いがけないときに来るのです。その日、神様にお会いできるように私たちは整えられる必要があるのです。
婚礼の花婿を待ちわびていた娘たちが、灯火油が消えかかり、買いに行っている間に来られ、宴会の席に入れなかったことをイエス様が言われました。私たちはそうならないように、灯火皿の油でたとえられている御聖霊を私たちの内から絶やしてはならないのです。私たちは絶えず聖霊に満たされ、心が神様に対する感謝と愛に満ちあふれ、喜びの生活をすることが「聖い生き方」なのです。
真の敬虔とは律法的に見て、悪いことはしないと言うような消極的なことではなく、神様に喜ばれることを積極的に喜んで行うことです。神様は私たちに力と愛と慎みの霊、すなわち聖霊様を豊かに私たちの心に住まわせて下さいます(?テモテ1:6,7)。


3,神の約束を待ち望む

聖書を見ますと、「天の万象は焼けくずれる」と10節12節に出てきます。ノアの時代には洪水で、地上の生き物は滅ぼされてしまいました。しかし、最後のさばきの時はすべてのものが焼け崩れ、燃えて溶けてしまうとあります。天地宇宙すべてのものがそのようになるとはどんなことでしょうか。私たちの頭では想像もつきません。
神の救いを信じないものにとっては、それは滅びの象徴ですが、信じるものにとっては新しい始まりです。神に背き、不真実に進んでいたこの世は滅び、「新しい天、新しい地」がはじまると聖書は約束しています。
そこは正義の住むところであり、神様が約束された御国であるのです。もう、涙も悲しみも苦しみもない、喜びと感謝、賛美に満ちあふれた永遠の御国であるのです。
私たちにはそこで生きる希望があるのです。そして、私たちの心も新しくしていただき、いっさいの不信仰不従順を取りのぞいていただいて、神の約束を信じ、進み行くものでありたいと願います。

          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)