柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストと共に生きる」1テサロニケ5章4-11節

3月11日の大震災以来、多くの人は難生活が続き、疲労もたまってきています。物質的な援助と共に精神的な慰めといやし、さらには魂の救いと永遠に対する希望が必要であることを覚えます。
 まさに今のこのときが、救いの必要なときです。「被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしている」(ローマ8:22)


1,あわてない

聖書を見ると「主の日が来る」とあります。主の日とはキリストが再びこの地上に来られる終末のときです。それがいつかは誰もわかりません。それはまさに、「真夜中に盗人が来る」ようなものです。しかし、イエス・キリストを信じるものはあわてる必要はありません。なぜならキリストが私たちを救いに来られるからです。
このところで一つの注意が語られています。それは、「慎み深くしている」ことです。簡単に言えば、ばたばたと慌てふためかない、落ち着いて行動することです。テレビのコマーシャルで、「買いだめをしない」や「デマに惑わされない」と言われていることです。あわてる必要はありません。落ち着いて行動することです。。
そして私たちは、霊的に目をさましていなければなりません。6節には「ほかの人々のように眠っていないで,目をさまして」とありますがそれは霊的覚醒を意味します。心の目をさまして、いつイエス様が来られても大丈夫なように備えていなければなりません。
聖書の中には見張り人のことが出てきます。夜、敵が攻めてきても大丈夫なように城壁には見張り人が立っていました。ある意味、クリスチャンも今の時代の見張り人といえます。まさに、神に敵対するサタンとの霊的な戦いの中にいて、私たち自身も整えられなければなりません。それはエペソ書の6章に出てきます。ここでも8節にサタンに戦いうるものとして、私たちは身を整えられなければならないのです。三つのものが必要です。それは信仰と愛と望みです。第一コリント13章でも「いつまでも残るものは信仰と希望と愛であり、その中で一番大いなるものは愛である」とあります。私たちはこれら三つのものをもって私たち自身を守らなければなりません。


2,主と共に生きる

私たちが今生きているのは、偶然のことではなく、生きるために神様は造られたのです。しかも、この世だけで生きるのではなく、永遠のいのちにあずかって神の国、天国で生きるためです。もし、この世だけのいのちであるなら空しいものです。しかし、神様は公正な方であり愛の方です。しかも、信じることによってすばらしい約束があります。
あるとき、イエス様は金持ちと乞食のラザロの話をされましたが、金持ちは地獄に落ちラザロは天国に招かれました。それは彼に、苦しみの中にも神を信じる信仰があったからです。行いではなく、信じることによって私たちは永遠のいのちをいただけるのです。
9節には「イエス・キリストにあって救いをえる」とあります。キリストは私たちの罪を身に負って十字架で死んで下さいました。怒りも悲しみも苦しみもすべて、その代価を十字架で支払って下さったのです。そして信じるものには「共に生きる」永遠のいのち、すなわち天国でよみがえって私たちを愛して下さり、負債をすべて払って下さったキリストと共に生きることができるのです。そこに、私たちの生きる希望があるのです。
この世では苦しみがありますが、私たちはこの永遠のいのちの希望をもって互いに励まし合い、神の国を目指していきましょう。


                (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)