柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の愛」1ヨハネ4章16節

私たちは共に神様を礼拝できることを大変嬉しく思います。なぜなら、私たちは神に愛され生かされていることを、礼拝を通して実感できるからです。礼拝とは神との交わりであり恵みに与るときです。皆さんは初めから心から神様を愛して礼拝していたでしょうか。おそらく、ノーだと思います。クリスチャンホームの子どもでもほとんどが、親が来るから一緒に来ていると言う人がほとんどだと思います。神様は私たちを愛しておられるのですが、残念ながら私たちは神を心から愛していたとは言えないのです。
しかし、感謝な事に、神様は私たちを何よりもまして愛し、私たちにその愛を示して下さいました。それがわかることは幸いなことです。感謝です。
昔、東京駅の前にブロンズ像が建っていたそうです。そして台座にはアガペーと掘ってあったそうです。アガペーとは、ギリシャ語で「愛」という言葉ですが、ギリシャ語には4つあります。一つはヱロースです。異性の愛、男女の愛です。そして、フィレオー、これは友情とも訳される言葉です。そして、ストルゲー肉親の愛、親の愛です。一つにまとめると、人間の愛と言えます。人間の愛は完全でしょうか。限界があります。不完全です。異性の愛でも、きれいだから、ハンサムだから愛せる。容姿が醜いと愛せない。友情も、自分に親切にしてくれる人は愛せるけど、不親切な人や、気に入らない人は愛せない。親の愛も、自分の子どもは愛せるけど、連れ子は愛せない。今でも、赤ちゃんに暴力をふるい虐待し、死なせる事件が起こっています。人間の愛は完全ではありません。限界があります。
しかし、神の愛には限界はありません。限りない愛であり、永遠に変わりません。
最近、覚せい剤で捕まった芸能人の話しがありました。人間の力ではなかなか断ち切ることはできません。あるとき覚醒剤から立ち直った人の証しを聞きました。家を飛び出し、放蕩の限りを尽くし、覚せい剤に手を出して身も心もぼろぼろになった。しかし、キリストの「私のもとに来なさい」との声を聞き、自分の罪を認めて立ち返ったとき、何と、心が明るくなり、喜びに満たされて、神様の愛がわかったのです。覚せい剤にも打ち勝ち、今は、そうした悩みに苦しんでいる人たちの助けをしていると証しされていました。
素晴らしいことです。中々、自分では罪を克服することはできない。弱さに打ち勝てない。しかし、神の愛は、私たちに力を与えます。まず、自分の罪を認め、自分の自我を砕き、私たちをへりくだりさせます。それが神の愛です。愛するひとり子を十字架にかけてまで、私たちの罪を赦す、神の愛が示されるのです。そして、それが自分の罪のためであった、神様は私たちにそれほど愛しているんだと知らせて下さいます。そして、私たちは、分かることができるのです。
暗い部屋も、電気のスイッチを入れれば、明るくなります。幼い子どもでもできます。どのように電気が光るのか、理解することが問題なのではなく、ただスイッチを入れるだけです。 
あなたも、心のスイッチを入れて下さい。イエス様を信じます。それをONにするだけなのです。


            (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)