柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「真の友を得る」ルカ16章1-9節

私たちの人生で、友を得ることは大きな力になります。仕事上の友人もいますし、この世でのつきあいの友もいます。
 しかし、心の奥から本音を言って理解してもらえる友人がいればすばらしいと思います。実はイエス・キリストが私たちの真の友であることが聖書を通して解ってきます。


1,金よりも友を得る

不正な管理人の話をイエス様はされました。それは不正を行いなさいといわれたのではなく、その抜け目のなさに感心されたということです。
今の時代でもニュースで会社での不正経理が発覚して業務上横領で逮捕されたと言うことも聞きます。ここでは一人の管理人が主人の財産を乱費して告発され、解雇されることが語られています。ところがこの管理人は辞めさせられるとき、負債を抱えていた人たちの証文を書き直して、借金を減らしたのです。それは自分が首になっても借金を減らしてもらった人はそのことの故に自分を助けてくれるだろうと知恵が働いたのです。
油50バテや小麦20コルは500日分の労賃です。年収以上の金額です。それが赦されることは大きなことです。赦された人は恩義に感じることでしょう。
その所をイエス様はほめられたのです。お金も大切ですが、自分を助けてくれる友人、困ったときに力になってくれる友がいることはお金を持っているよりもありがたいものだと思います。
ルカ19章にはザアカイという金持ちの話がありますが、金があっても友だちはいませんでした。寂しい生活をしていました。しかし彼もイエス様が家に来られ楽しい交わりが与えられたときに彼の人生は変わりました。金の亡者から、貧しい人に施しをする人、不正をも倍にして返す忠実で義に生きる人に変えられたのです。


2,不正の富で友をつくる

9節を見ると「不正の富で、自分のために友をつくりなさい」とイエス様は言われました。不正の富とは、不正を働いて得られたお金ではありません。不正にも使われるお金という意味です。お金そのものは汚れたものではありません。しかし、不正にも使われるものです。時には賭け事に使われたり、あるいは賄賂にも使われます。お金は不正にも使われやすいのです。しかし、その反対にチャリティーや人助けにも使うことができるのです。?テモテ6章19節には「まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。」とペテロは若いテモテに話しました。お金は神様の働きのために献げることができます。神様の働きのために用いられることができるのです。「天に宝を蓄えなさい」とイエス様はいわれましたが、自分のためではなく、救いのために献げるならば、永遠の命を得るための天国の良い備えとなって行きます。 この世のためにお金を使っても神様は喜ばれません。しかし、一人の人が救われるために献げるならば神様は多いに喜んで下さいます。そしてそれが真の友を得ること、すなわち自分が天国に迎え入れられることにつながっていくのです。


3,真の友はイエス・キリストである

真の友とはだれでしょうか。それはイエス・キリストです。イエス・キリストは私たちを友と呼んで下さる方です。それはヨハネ15:14〜15に出てきます。そしてすばらしい言葉が13節にあります。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」まさにイエス・キリストは私たちの真の友となって下さいました。あの十字架の上で私たちのすべての罪を赦して下さり、新しい命を与えて下さったのです。私たちはかつてはこの世の豊かさ富だけ求めて生きていたようなものですが、キリストの愛は、キリストの十字架は私たちを新しくし、愛に生きるものに変える力があります。
和歌山県南部に労祷学園という少年たちに聖書を教え勉強も教えるところがありました。枡崎外彦という牧師先生がその労を執っていました。あるとき山本忠一という知的障害のある少年が入ってきました。そのことが原因で7人の優秀な少年たちは去っていきました。山本忠一もあるときいなくなりました。しばらくして一人の紳士が尋ねてきました。なんと忠一少年は機帆船に乗り働いていたのです。しかし、新宮沖で遭難したとき、彼は自分の足を穴の空いた船底に突っ込み、早く港へと叫び、彼の足はもぎ取られ、命を失いましたしかし、他の乗員は全員助かったのです。まさに彼はキリストを愛し、命を捨て、人々の命を救ったのです。
キリストは私たちの心に働いて下さいます。お金よりも大切なものそれは永遠のいのちです。キリストは私たちの真の友となって下さり、十字架で私たちのすべての罪を赦し、愛して下さって永遠の命を与えて下さいます。

          (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)