柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「目標を目指して」ピリピ3章10-14節

南アフリカで開催されているワールドカップもいよいよ最後を迎えようとしています。選手たちはゴールを目指して、優勝を目指して進んでゆきます。日本選手も予想以上に活躍しました。彼らのひたむきなプレー、肩を組むチームワークに感動を覚えました。

私たちはサッカー選手ではありませんが、ゴールを目指して人生を駆け抜けていく姿勢があります。「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み」と言ったパウロの信仰姿勢にならいたいものです。


1,復活を目指して

彼が目指していたもの、目標は何だったでしょうか。もちろん福音を全世界に伝えることであったでしょうし、彼は異邦人の使徒としてキリストに召されました。彼にとって一番果たすべき目標は福音を伝えることであったと言えます。しかし、彼の個人的な願いは11節に明らかにされています。それは、復活に達するということです。彼の望みは自分もまたキリストと同じように死の中からよみがえり、復活のキリストにお会いすることにあったのです。
私たちの希望はどうでしょうか。この世のことを全うすることでしょうか。自分の願いを、心の願望を実現することでしょうか。おそらくそのようにしていくならば神の国、天国へのゴールから大きくそれていってしまうと思います。イエス様は「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マタイ16:26)といわれました。この世のものは永遠に残ることはありません。私たちとて例外ではないのです。この世のいのちしかなければ、この世でしか生きられないのです。私たちにも復活の命、永遠の命が必要なのです。


2,キリストが与え、助けられる

パウロは自分の力で、自分の信仰で復活の命にあずかったでしょうか。そうではありません。彼はかつて、キリスト教に敵対するものでした。クリスチャンを迫害する人であったのです。そして、その時彼の人生はむなしいものでした。砂をかむような全く味気ないものであり、それどころか自分は今いったい何をやっているのか、何のために生きているのか解らない心の状態にあったのです。確かに、ユダヤ人の祭司長や長老たちのお墨付きを受けて、クリスチャンたちを次々に捕らえました。外側の華々しさとは裏腹に、彼の心は闇をさまようものであったのです。しかし、彼は復活のキリストに出会いました。そして、キリストに捕らえられて永遠のいのちが与えられたのです。それは12節に「キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです」と告白しました。それこそあの、財産を父からもらって一旗揚げようとした放蕩息子が、一文無しになって帰って来たとき、父は彼を喜んで迎え、抱きかかえて家に連れて帰ったのとおなじことです。真の神様は、弱い不信仰な私たちをもしっかりと受け止めて下さり、私たちの心をも抱きしめて愛し、支えて下さるお方です。そして私たちも、神の愛、新しい命にあずかったなら、さらに追い求めてひたむきに前進して行くのです。


3,栄光を目指して

パウロは栄冠を目指してひた走りに信仰の生涯を駆け抜けました。(14節)そして彼は御国において栄冠を獲得したのです。私たちもまた、彼にように一心に走ることができます。

炎のランナー」という映画があります。1924年パリオリンピックを舞台にした映画です。エリック・リデルは実在の人です。100メートルの選手でしたが、試合が日曜のため出場を取りやめました。イギリス王室が国家のために礼拝を休んで競技に出てくれといわれても断ったのです。しかし友人が400メートルの出場権を譲ってくれました。そして彼は「神の栄光のために走る」と言って、優勝したのです。
彼はすべての栄光を捨てて中国宣教師となりました。中国で伝道し、日本軍に捕らえられ収容所で天に召されました。しかし、彼の信仰のバトンはなんと同じ収容所にいたスティーブ・メトカフに受け継がれたのです。彼は日本に宣教師としてきました。多くの日本人に福音が伝えられたのです。

神の愛と赦しのバトンは私たちに手渡されています。私たちもまた、自分の体を伸ばし、ひたむきに前に向かって、神の栄光を目指して次の人たちに手渡していきましょう。福音を伝えましょう。

          (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)