柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「福音を伝える」ローマ1章14-17節

柏原教会は、イギリスからホーア先生が来られこの地に伝道が始められ78周年を迎えます。人間の年からいうなら老齢期かもしれませんが、イエス・キリストの救いが伝えられることからすると、じつはまだまだこれからなのです。よく1%の壁を破ると言われます。クリスチャン人口はプロテスタントカトリックを合わせて約100万人と言われています。日本の人口は約1億3000万人弱ですが、全人口の1%にも満たないのです。ですから、伝道すなわち福音宣教はこれからなのです。そして神様の私たちに対する期待はもっと大きいと思います。


1,救いの力

まず私たちが知らなければならないことは、福音には人を救う力があるということです。16節を見ますと「ユダヤ人をはじめギリシャ人にも」と出てきます。ある意味でわかりやすく言うと「西洋人も東洋人も」ということになるでしょうか。どんな文化や生活の違いはあっても、信じる心があるならどんな人でも救われるのです。それはある意味、私たちに力がなくても福音は、私たちをいろんな悩みから苦しみから救う力、癒す力があるのです。
この力は実はダイナマイトと同じ語源です。すなわち、吹き飛ばす力があるのです。人の力で、ツルハシやノミで砕くことのできない大きな岩でも、ダイナマイトがあれば簡単に粉々に吹き飛ばすことができるのです。すなわち私たちの心には、自分でどうすることもできない弱さがあると思います。
最初につくられた人間アダムとエバにも弱さがありました。取って食べてはいけないと言われた木の実を取って食べ、罪を犯してしまったのです。私もときどき「むさぼってはいけない」と十戒の言葉を後で思い出すことがありますけれど、食欲に負けてつい食べ過ぎてしまうことがあります。それも弱さです。
しかし、福音にはその弱さも罪も吹き飛ばしてしまう力があるのです。悩みの種も福音の力は打ち砕き、粉々にして吹き飛ばし、あとかたもなくしてしまいます。私たちの心をきよめる力があるのです。


2,信仰によって生きる

なぜ福音に力があるかというと、17節に「神の義が啓示されている」とあります。神の義とはすなわち十字架による罪の赦しという意味です。私たちの心の罪は自分の力で解決をすることはできません。しかし、イエス・キリストは私たちの解決することのできなかった罪をその身に受け、それを十字架の上で背負い、自らがその罪の責任を負って死んで下さったのです。それが福音です。私たちは自分で解決できないけれども、イエス・キリストが解決して下さるのです。罪の報酬を支払って下さるのです。
宗教改革を行ったマルチン・ルターは、修道士でした。聖ペテロ寺院で修行を行っていました。しかし、その時「義人は信仰によって生きる」と御言葉を聞き、さっさと修行を辞めて帰ったのです。彼は信仰によって解決を得たのです。
私たちも同じです。いろんな苦しみ悩み悲しみをも十字架のキリストに委ねるのです。キリストが私たちに解決を必ず与えて下さいます。


3,福音の負債がある

私たちが救いにあずかるなら、新たなことが出てきます。それは「返さなければならない負債を負っている」(14節)ということです。それは十字架によって救われた人だけが感じることです。十字架を通してでなければこのことは解りません。
それはもっと簡単にいうと、自分がどうしようもない罪人であり、その自分を救うためにイエス様が身代わりとなって死んで下さり、自分の罪が赦されて天国に行けるようにして下さった、本当にうれしいということなのです。
柏原教会の創設者ドローシー・ホーア先生も大変なお転婆であったと聞いています。それこそ自分の姉妹が召されたときに、お母さんが「ドローシーが召された方が良かったのに」と本気で言うくらいでした。またあるときお父さんの大切な聖書をペンキで塗りたくるという悪戯までして、大変怒られたそうです。お父さんは有名なビショップ・ホーアで香港で伝道し、舟で伝道旅行の最中に遭難され殉教されました。
その時夢枕でお父さんが「悔い改めてイエス様を信じなさい」と言われたことを通して、キリストを自分の救い主として受けいれたということです。
ホーア先生は、どれほどイエス様が自分のために苦しまれ、十字架でいのちを捨てられたかはっきりとわかったのです。それ故に伝道の鬼と称されるほど、自分の身を削って伝道されました。この柏原でも多くの人が救われたのです。そして、歴代の牧師・信徒の方々も同じ主に用いられて今日に至っているのです。
私たちも信仰の負債を負っているのです。それはイエス様が私のために十字架で死んで下さったという負債です。
パウロはぜひ福音を伝えたい、そう言いました。私たちもまた、「ぜひ福音を伝えたい」と思います。

              (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)