柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「信仰者のゆとり」詩篇4篇1-8節

宣教者:千里聖三一教会 金井由嗣牧師
 
この詩は前の第3篇と用語や状況描写がよく似ており、ダビデ王が息子アブサロムの反乱に遭い、王位を追われて逃亡生活を送っていた時の詩と考えられています。信頼していた人々に裏切られ、地位も財産も失い、生命の危機にさらされている状況でなお「ゆとり」を持つことができる信仰、安眠できる心の平安、その秘訣はどこにあるのでしょうか。?

1、神への恐れと信頼 1節
ダビデは最初に「私の義なる神」に呼びかけます。私たちは苦しみのにあうと、自分の価値が自分で認められなくなってしまいます。失敗の経験や他人からの低い評価が自己評価に影響してしまいます。眠れない夜にはなおさらです。しかしダビデは、罪人を赦し受け入れて義としてくださる神様に信頼していました。自分を価値あるものと認めてくださる神様と静かに交わる祈りの時間が、真のゆとりを与えてくれます。


2、神との静かな交わり(礼拝の生活) 2〜5節
神との交わりの中で平静を得たダビデは、自分を迫害し侮辱する人々に対して神への信仰に立ち返るよう呼びかけます。驚くべき余裕の態度と言えるでしょう。神が選ばれた人を攻撃することは、聖徒(直訳は「神に対して忠信を尽くす人」)を特別に顧みられる神を敵に回すことです。彼は、かつて自分の部下であり友であった人々、そして今は敵となって自分を非難し、追求する人々が滅びることを望んでいませんでした。それ故に、自分と同じように神との静かな交わりの中で平静な心を取り戻すよう勧めるのです。「義のいけにえ」(5節)は本来は「律法に則った正しいいけにえ」を意味します。、逃亡生活の中にあるダビデは正しい儀式を守ることはできませんが、神の前に真実な心を献げて礼拝していました。私たちにも、自分の心と深く語り合って内省し、沈黙して神にゆだねる信仰が必要です。


3、神と共にある生活 6〜8節
「多くの人」は自分に「良いこと」が起こることを「み顔の光」(神の特別な顧み)のしるしと受け取ります(ご利益信仰)。しかしダビデはこれほどの逆境の中でも神様の臨在(み顔の光)をリアルに感じています。財産や物質的幸福は真の平安を与えません。イエス・キリストの十字架の故に私を義としてくださる神様と共に生きる生活こそ真の幸福と平安の源泉なのです。
神様を信じて歩いている人にも「眠れない夜」はやって来ます。自分を責めたり、他人を恨んでも苦しみが深まるばかりでしょう。どんな時にもけっして見捨てられない神様に信頼しましょう。イエス・キリストの十字架の故に、私を義と認め、神ご自身との豊かな交わりの中に招いてくださる神様の前に心を注ぎだし、静かに祈る生活が真の平安と安眠の秘訣です。まず今夜から、床につく時に静かに祈る時間を持ちましょう。