柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「聖霊の働き」 ヨハネ16章12-15節

エス様はよみがえられてから40日間弟子たちと共におられました。しかし約束された通り天に帰られるときがきたのです。果たして弟子たちの心はどうだったでしょうか。死んだイエス様がよみがえられ、弟子たちと共におられて彼らは大変心強く思ったでしょう。そして、オリーブ山で雲に包まれて天に昇って行かれる姿を見て、彼らは天国の栄光を仰ぎ見て希望に胸躍らせたことと思います。しかし、イエス様が天に昇られたあとこの地上の現実がありました。
その中で彼らが行ったことは使徒の働き1:14にあるように互いに集まり、心あわせ祈りに祈っていたことだろうと思います。その中に聖霊は働かれて驚くべき御業が行われました。それは全世界にキリストの救いが伝えられて行ったことです。今でもその働きは全世界で行われています。昨年の11月にアフリカからワトトの子どもたちが来ました。彼らは親を戦争やエイズで亡くした子どもたちです。でも元気いっぱいに歌や踊りを披露しましたが、イエス・キリストによって変えられたからです。アフリカだけに限らず、南米、アジア、中国においてもキリストの救いの業は前進しています。それはまさに聖霊の働きであると言えます。
これから先起こることに関してイエス様は、まだ十字架にかけられる前に弟子たちに話されました。16章の2節にも迫害のことが語られていますが、それは後に弟子たちが受けたことを使徒の働きを通して知ることができます。しかし、彼らはそのことを現実に起こるとはその時受け止められなかったと思います。しかし、やがてそれを実際に体験することとなりました。そして彼らは迫害を恐れることなく受け止めることができたのです。それは聖霊のなせる業です。


1,聖霊は真理に導く

13節を見ますと聖霊は「真理の御霊」と言われています。
聖霊は私たちをすべての真理に導き入れると約束されています。私たちの経験や理性をもっても解らないことを聖霊は教えて下さり導いて下さるのです。かつてユダヤ人のパウロは自分の同族のユダヤ人が救われるなら自分の身はどうなっても良いと伝道をしました。しかし彼らは心を開いて聞きませんでした。ところが聖霊の導きにより彼は異邦人へ伝道する機会が与えられたのです。彼にとっては遥かに理解を超えたことであったのですが、神様は彼を異邦人の使徒として用いられました。彼によって異邦人伝道世界宣教の道が開かれたのです。そして彼は多くの書巻によってキリストを証しし宣べ伝えたのです。それはまさに真理の御霊の働きであったのです。
さらに彼は真理の御霊に導かれクリスチャンたちに対しての書簡すなわち聖書を書き、読む私たちも真理の御霊の導き助けによって聖書すなわち神のことばを理解し受けいれることができるのです。


2,聖霊は栄光を現される

14節にはキリストの栄光を現すとあります。キリストに与えられたものが、私たちにも与えられます。キリストは神のひとり子でありましたが、そのことを固守することなく天の栄光を捨てて地に下り、一介の大工の息子として生涯を過ごされ、ついには十字架の上で敵対するもののためにいのちを捨てられたのです。それがキリストの栄光でした。私たちはまさに、キリストの十字架の栄光によって救われたのです。キリストの十字架がなければ私たちは自分の罪のために裁かれ、永遠の滅びに向かわなければなりませんでした。しかし、私たちは御霊の導きにより、神の愛が解り、十字架によって救われたのです。さらに私たちもまた、キリストの内なるものを受けることができます。それは従順です。それは十字架の死に至るまでの従順であり(ピリピ2:6〜8)いっさいを父なる神にお任せする委ねる信仰であったのです。(?ペテロ2:23)その信仰を聖霊は私たちの内に現されて、私たちもまたキリストに似たものとなりキリストのように生きるようになります。それはまた最初の殉教者ステパノの姿にも現されています(使徒7:60)。


3,父なる神のものとされる

私たちはかつては神から離れていたものであり、栄光を受けられないでそれこそみじめな生活をしていたものでした。まさに放蕩息子のように、自分の権利を主張し、与えられている豊かさを自分勝手に使い果たし、挙げ句の果ては見捨てられ裏切られて当てもなくさまようものであったのです。しかし、あの放蕩息子がどん底の中で我に返ってわかったように、聖霊は私たちの心に働かれて、私たちは父なる神のものであることがわかります。そして父のもとに帰ろうとの思いが起こされるのです。あの放蕩息子が悔い改めて帰ってきたとき、父は最上の上着を着せ、指輪をはめ靴をきせ、ごちそうを振る舞ったように私たちを喜び、神の愛、栄光、喜びで包まれるのです。私たちはその時わかります。私には父なる神万物の創造者、すべてをつぐない赦して下さるお方がおられるのだと。
聖霊は私たちが如何に愛されているものであるかを教えて下さるのです。それが聖霊の働きです。


                     (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)