柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「聖霊による伝道」 使徒2章1-11節

ペンテコステ(五旬節)の日に聖霊が弟子たちに降り、彼らが大胆に語って教会が生まれました。ペンテコステの日とは教会の誕生日であると言えます。


1,聖霊によって弟子たちは語った

彼らはもともと語ることはできませんでした。なぜなら第一にイエス様を裏切り見捨てて逃げてしまったからです。大胆に語る力はありませんでした。その証拠に、キリストが十字架に付けられた後、彼らはおびえて戸を閉じて部屋の中に閉じこもっていたのです。彼らは自分たちも捕らえられることを恐れていたのです。
そして大胆に語ることのできないもう一つの理由が考えられます。7節に「みなガリラヤの人ではありませんか」とあります。ガリラヤで漁師をしていた弟子たちに外国語を学ぶ機会はなかったでしょう。そして地方なまりの言葉で話すことはコンプレックスを感じるものであったかもしれません。
ところが彼らはそれらの障害を乗り越えて大胆に語ることができたのです。しかも私たちが知らないような言語も、弟子たちは流ちょうに、その国の人がはっきりと理解できる言葉で語っているのです。
その大きな力は聖霊によるものでした。それは彼らの力、能力ではありませんでした。聖霊が彼らに臨まれたとき、4節を見ますと、「聖霊に満たされ」とあります。心の中にあった過去の失敗や過ちの傷、恐れや不安は聖霊の力により吹き飛ばされて全く新しくなり、すがすがしい思いとなったでしょう。彼らの顔は確信と喜びに輝いていたことと思います。
そしてもう一つは「御霊が話させてくださるとおりに」とあります。彼ら自身が外国語を習得して話したのではありません。御聖霊が話されるとおりに彼らは話したと言うことです。彼らには能力も力もありませんでしたが、御霊が話させてくださるとおりにしたのです。私たちも、キリストを証しするとき大事なことは、聖霊に私たち自信が満たされることであり、さらには私たちが語る中にも聖霊が働かれ、御霊が話させて下さるとおりにするならば、話すべきことを話すことができると言うことです。


2,神の御業を語る

聖霊によって話される言葉には目的があります。5節でエルサレムには現地の人だけではなく、あらゆる国から多くの人が集まっていたことがわかります。ですから、すべての人に福音が伝えられるためには他の国の言葉で語る必要があったのです。今の時代は英語が共通語です。英語を通して他の国の人と会話することができます。しかし、細かいことはなかなか通じません。その国の人が使っている言葉をダイレクトに話すことが最善の方法です。
そして話すことの最大の目的は「神の大きなみわざ」です。それはキリストの十字架と復活すなわち、キリストこそ救い主であるという福音です。あのペテロは変わりました。イエス様が十字架に付けられたエルサレムの町中で大胆に「イエスを、あなたがたは十字架につけたのです」と語ったのです。なんとそれを聞いた人たちは心を刺され、罪を認め悔い改めて罪の赦し、十字架の救いを得ることができたのです。その日3000人の人がバプテスマを受けてイエス様の弟子となったのです。
教会の始まりは聖霊が働かれ、弟子たちが強められ用いられて、救いの言葉が語られました。それは、聖霊に満たされ、御霊が語らせられるままに彼らは語ったのです。
伝道は人の賜物や力でなされるのではありません。すべてが聖霊の働きであり、御霊が語られるままに話すとき私たちは神を証しすることができます。聖霊によって私たちは伝道させていただきたいと思います。


                (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)