柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「聖霊のとりなし」ローマ8章22−27節

いよいよ5月も終わりになりますが、まだまだ寒い日が続いています。今年は例年と比べると温度が低く冷夏になるおそれがあるとの予報も出ています。
まさに今の時代は聖書が言っているように、うめきの時、産みの苦しみの時代であることを思います。それは人間だけのことではなく、聖書には被造物全体とあります。すべてのものがまさに苦しみの中にあります。いま宮崎県も口蹄疫の伝染病のことで苦しみの中にあります。今まで手塩にかけて育ててきた牛を殺さなければならないのは大きな苦しみであると思います。


1,救いの望み
しかしながら私たちには希望があることを聖書から知ることができます。23節に御霊の初穂という不思議な言葉が出てきます。たとえば植物の一番初めは種です。種が発芽し、成長して大きくなり花が咲いて実が成ります。それと同じように、私たちの心の中にも信仰の種が蒔かれるチャンスがあります。それは聖書を読むことです。神のことばを聞くことです。それによって私たちは神の救いにあずかる機会が与えられるのです。ただし、私たちの心も整えられる必要がありますし、それには時間が掛かるものです。
エス様は種まきの話をされました。石地に落ちた種はカラスに食べられ、土の浅い地に落ちた種は根が枯れ、いばらの地に落ちた種は成長が阻まれましたが、良い地に落ちた種は多くの実を結ばれたことをイエス様は話されました。
私たちも心が造りかえられる必要があります。硬い土は耕され、いばらも取りのぞかれて肥料も入れられて整えられなければ種は大きく育ちません。そのように私たちの心も、かたくなな心は砕かれ、この世に対する煩いがあるなら、取りのぞかれなくてはならないのです。神様は必ず私たちの心に働かれ、良い農夫として私たちの心をも整えて下さることができるのです。必ず人生の色々なことを通して、私たちの心を聖く正しいものに整えて下さることができます。
そして、私たちが神様を信じることができるのは、聖書の言葉と共に、聖霊が私たちを教え導くと聖書自身が語っています。(ヨハネ14:26)さらに私たちは、聖書によれば「御霊の初穂」をいただいている(23節)とあります。
すなわちそれは、イエス・キリストを自分の救い主として信じ、霊によって新しく生まれ永遠のいのちにあずかっていることを意味しているのです。「永遠のいのち」をいただいたものには復活の希望があります。死んで終わりの人生ではなく新しいいのちにいきる者とされている希望があるのです。それは空想ではなく、創造主がこの宇宙を造られ、新しい天地をも造られ私たちをそこに導き入れることができるのです。
しかも、「子にしていただく、からだの贖われること」とは私たちのからだが朽ちず萎むことのない栄光の体によみがえることを意味しているのです。私たちにはその希望があり、救われているのです。


2,聖霊のとりなし

但し天国は私たちの目では見ることはできません。しかし信じることができます。そしてそれによって希望を持つことができるのです。
私たちの持つ希望は、この世のものとはおよそ比較にならないすばらしいものです。新約聖書の黙示録を見ると、天国はもはや悲しみも苦しみもないところであるとあります。そして神御自身が太陽のように輝き、暗きところがないと言っているのです。想像をはるかに超えた世界なのです。
その天国をどうして私たちが待ち望むことができるのか。それは聖霊の助けなしには私たちは待てません。しかし、聖霊が働かれるなら私たちは忍耐して待ち望むことができます。
26節に、聖霊は弱い私たちを助けて下さるとあります。私たちは自分が神様にどう祈って良いのかわからないものです。そんな弱い私たちを聖霊は助けて下さり、まさに心の底から言い難き嘆きをもって自らが祈りだして下さり、助けて下さるのです。何でも、一番初めに動き出すのが力がいると思います。車でも最初からトップギアに入るのではなく、ローから徐々に回転が速くなるのです。祈りも同じです。最初からうまくはいきません。しかし聖霊は私たちを助け、祈り出しって下さる方です。聖霊が私たちをとりなして下さることは大切なことです。
あの初代のクリスチャンたちも多くの迫害を受けました。しかし、彼らには聖霊が働いておられたのです。イエス様を信じたクリスチャンたちは来るべき新しい世界に望をおいたのです。そして自分たちのからだが贖われ、復活することを夢見ていました。そこに希望があったのです。
私たちは何に望をおくでしょうか、この世のことでしょうか、それとも神の約束して下さっておられる新しい世界でしょうか。聖霊は私たちを助けて下さいます。希望を失い、自分に失望するときにこそ、御霊は働かれ言い難き嘆きをもって祈りだし、私たちに朽ちず萎むことのない永遠のいのちの希望を与え、神の御国の到来を待ち望むものにして下さるのです。 

                 (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)