柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「最も大切なもの」 マタイの福音書16章26節

マタイ16章26節の言葉は、聖書の中でも有名な言葉の一つです。
当時権力を振るっていた、パリサイ人サドカイ人といった人たちが、イエス様の所に来て、救い主であるならその証拠を見せてくれと言ってきました。イエス様にそのように言ってきたのは、彼らだけでなく、神に敵対するサタンも、荒野で試みに会われたときに、石をパンに変えてみろと言ってきたのです。食欲は人間にとって、最大の弱点ではないかと思います。
しかしイエス様はサタンに対して「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による」(マタ4:4)と言われました。私たちが生きるのは食べるものだけでなく、神の励ましの言葉、慰めの言葉によって生きるものです。悪魔の誘惑に打ち勝ち、神の祝福に預かる秘訣がここにあります。


1.大切なものは何かを見分けることです。
人生で最も大切なものは、と聞かれて、あるアンケート調査では、第1位が金、2位が愛とありました。この世の現実はそんなものかも知れません。
万能下の句というものがあります。それは「それにつけても金の欲しさよ」と言う言葉で、たとえば「名月や池をめぐりて夜もすがら、それにつけても金の欲しさよ」と確かにつながり、狂歌風になります。元々は大田南畝(なんぼ)という人が「世の中は いつも月夜と米の飯 それにつけても金の欲しさよ」から来ているそうです。江戸の昔も、平成の今も、この世で欲しいものはそんなに変わりがないと言うことです。
そして、イエス様はお金どころか、全世界を手に入れると言われました。世界の歴史を見るなら、古くは、南はエジプト東はインドまで征服した、マケドニアアレキサンダー大王から、ヨーロッパの支配者になろうとしたナチスヒトラーに至るまで、全世界を征服しようと企てるものは、次々に現れてきます。
しかし、未だかつて全世界を手に入れたものは一人もいません、天下統一を果たした太閤秀吉も「露と落ち露と消えにし吾が身かな 浪速の夢も夢のまた夢」と辞世の句を残し、ついには徳川に滅ぼされてしまったのです。
まことの命を損じたら、何の得もないのです。書き損じのハガキは5円で変えられても、私たちのいのちは、損じて変えることはできないのです。いのちほど、大切なものは他にありません。私たちは欲望に引っ張れれてしまうか、それともいのちが守られるか見極めなければなならいのです。
それには、聖書を読むことです。聖書を読むと命の大切さ、そして誰が私たちの命を保証してくれるか、解ります。日本に初めて伝道にきた、ザビエルは、イグナチウス・ロヨラに、この聖書の言葉を聞かされ、導かれました。そして日本にキリスト教が伝えられる結果となったのです。彼はスペインの貴族であり、豊かな生活が保障されている身でしたが、なくてはならないものを見出し、ついには宣教師となったのです。全世界を捨ててでも、永遠の命のすばらしさを彼は見出し、生涯が変わりました。私たちも一時的なものに本当の価値があるのか、永遠のものに真の価値があるのか見極めなければならないのです。


2.永遠の命を得る方法がある。

永遠の命を得るためになにをしたらよいのでしょうか。それは26節後半にヒントがあります。「いのちを買い戻す。」という言葉です。詩篇49篇15節を見ますと、「神は私たちを買い戻して下さる。」とあります。
買い戻すとは、元々自分のものだったものがどこかに行ってしまい、再び見つけたとき対価を払ってもう一度自分のものにすることです。
神様は私たちを造られたが、私たちは神を知らず神から離れたものでした。心空しくこの世野荒のをさまようものでした。そしてその先には、死が待っているのです。しかし、神様は私たちを死の滅びから救うために、愛する一人子イエス・キリストを世に遣わされ、私たちの命の代価を十字架の上で払って下さったのです。
私たちにできることはただ一つ、私のために御子の命が支払われている、それを信じるだけでなのです。御子を信じるものは全て、永遠の命を得ることができるのです。(ヨハネ3:16)


                            (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)