柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「内なる力」   第2コリント4章7-18節

9月15日敬老の日の祝日です。日本人の平均寿命は女性が86歳男性79歳で日本は長寿大国です。長生きできるのは感謝ですが、人間はある程度ピークが過ぎると体力や、気力が弱ってきます。老化現象というのがあります。しかし、幸いなことに神様は私たちに新しい力を与えられます。それは肉体の力ではなく、魂の力霊的な力を与えて下さいます。


1.なくてならない宝をもつ。
7節に、「この宝」とはイエス・キリストのことであり、「土の器」とは私たち自身のことです。私たちは土の器のように弱くもろいものです。しかし、キリストが私たちの心に入って下さると生き方が変わります。不思議な計り知れない力が、私たちの内側から湧きあがってきます。そのためには、イエス・キリストを信じ心に受け入れる必要があるのです。
フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーすばらしい人でしたが、彼は「もはや私には兄弟もなく友だちもいない。自分より他に何もない。人付き合いのよい、情愛の深い自分がみんなからのけ者にされてしまった」と嘆いたそうです。晩年の彼の心は孤独だったのです。
聖書の中に「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。年が寄って「何の楽しみもない」というようにならない前に」(伝道12:1)大切なことだと思います。
一人の男性が老健施設に入所しました。同室の人たちは「この人が来てから部屋が明るくなった。」といわれました。職員の方も「この方はいつも喜んでおり、全てのことを感謝されます。疲れて気が滅入りそうになると、自然とこの方の部屋に来るのです。そうすると、不思議と心がやすまるのです」と言われたそうです。その方は若いときからイエス様を信じ、いつも口癖のように「常に喜べ、絶えず祈れ、全てのことに感謝せよ」と言っておられたそうです。
8節を見ますと、「苦しめられるが、窮せず、行き詰まらない。」とあります。たとえ八方ふさがりになっても、クリスチャンには天の窓が開かれていて、希望が見えるのです。老後の楽しみはイエス・キリストを信じるところから生まれてきます。


2.内なる力が与えられる

16節に「そとなる人」、「内なる人」とあります。「外なる人」とは私たちの肉体であり、また人間的な思いもあります。「内なる人」とは、私たちの魂に係わる霊のいのちです。その霊のいのちは日々新しくされると神様は保証して下さっています。
美しく老いる。という言葉がありますが、美しい老後は、経済的保証があることや回りの環境がいいからできることではありません。むしろ心のありようによってできることです。
それは16節の最初の言葉に表れています。「勇気を失わない」口語訳では「落胆しない」とあります。自分が年取ってガッカリしない、いつも前向きで過ぎたことをくよくよしないことです。
私たちの肉体は衰えます。16節にも「外なる人」は衰えとあります。しかし「内なる人」は日々新たにされます。内側から日々新たにされるのです。
それはイエス・キリストを心に信じることによって得られます。10節に「イエスのいのちが私たちの身において明らかに示される」とあります。イエス様は私たちの罪過ち失敗を赦して下さり、赦された私たちは神との交わりを回復して、心が元気になるのです。いつもイエス様が心の内に共にいて、慰め励ましてくださるのです。ガリラヤの湖で舟が沈みそうになったとき、「私だ恐れるな」と弟子たちを励まされ、波も風も鎮められました。そのイエス様が私たちの心の不安をも治めて下さるのです。ですから、自分は淋しい、失敗ばっかりしている、どうしようという思いから救って下さり、忌まわしい孤独感から解放されます。そして肉体の衰えや余生の短いことなど気にならなくなります。
そればかりか、聖書の言葉と祈りによって、内なる人、私たちの信仰が強められ、やがてこの世を去るとき、栄光に輝く神の御国で永遠に生きる希望に胸躍らせるのです。私たちの心の中にも、「内なる人」が働いて、天国の希望が豊かに与えられ、たとえ「外なる人」が衰えていっても、内なる人はますます新しくなり、すばらしい老後を過ごしましょう。


                        (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)