柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「新しい人」コロサイ3章12-17節

今日はアドベント、イエス・キリストの誕生を待ち望む待降節と呼ばれる季節になりました。なぜ私たちにキリストが必要なのでしょうか。それは私たちが永遠の滅びから救われるためです。
聖書の中には罪ということばが出てきますが、罪の原因はアダムとエバ天地創造の神に従わなかったところにあります。しかし、キリストはアダム以来の罪を解決し、私たちを神のもとに帰すために私たちのところに来られたのです。


1,古い人

「新しい人」と対照的なものは「古い人」です。人と言っても「人間」という意味より、性格・性質と言った方が良いかもしれません。
私たちは、元来アダム・エバからの「古い人」の性質を持って生きていました。それはすなわち4節に記されているものです。「不品行、汚れ、…むさぼり」それは、偶像礼拝であり、殺されなければならないものであるとパウロは言いました。なぜならば、神の怒りが下る,すなわち神によって裁かれてしまうからです。ですから、私たちが永遠の滅びに行かないように神様は、私たちに警告を与え救いの道を備えて下さったのです。神様は私たちを救い、心を新たにし「新しい人」すなわち新しい心の性質を与えて下さいます。


2,新しい人

12節に「新しい人」が身につけるべき、心の性質が出ています。それはまさに、新しくされた人の着る十二単のようなものではないかと思います。しかし、その前に私たちは捨て去るべきものがあります。それは8節に出てくるものです。「怒り、…恥ずべきことば」を捨て去りなさいと勧められています。
そして、「新しい人」の姿が12節に表れています。それらを私たちは身にまとうのですが、その上に「愛の帯」を結び付けることが14節で語られています。帯がしっかり結ばれないと着物はだらしなくなります。私たちの内に同情心や、慈愛などが着せられた上に、愛をしっかりと締めなければなりません。その愛は、受け身の愛ではなく主体的なアガペーの愛です。キリストの愛はまさにアガペーの愛であり、私たちにはたとえ価値がなくても愛して下さった愛なのです。ですから、私たちも十字架の愛でしっかりと心の帯が結ばれなくてはなりません。また、教会もこの愛によってしっかりと結びあわされるのです。
もう一つは、「キリストの平和が心を支配する」ことです。あなたの心は何で満たされているでしょうか。キリストの平和すなわち魂の安らぎが必要なのではないでしょうか。その平和も十字架から来ます。神の罪に対する裁きは十字架の上に下されました。その故に私たちは永遠の滅びから救われ、新しい命に生きる者となったのです。
そして、キリストの平和から私たちの内に生まれてくるものがあります。それは感謝です。教会とはイエス・キリストによって救われた、召されたものの集まりです。そこには罪赦された安らぎがあり、平和に満たされます。私たちが平安であると、そこに喜びが溢れ賛美が生まれます。 16節はまさに、教会のあるべき姿であると言えます。まず、私たちはキリストのことばを内に住まわせなければなりません。そして、みことばを積極的に語り、ときには互いに教え戒めることも必要であると思います。そしてなによりも、共に詩と賛美と霊の歌をもって神様をほめたたえ、感謝することです。
神様は私たちの心を新しくして下さいます。「古い人」を脱ぎ捨てて、私たちの義となり聖となり贖いとなられたキリストによって「新しい人」とさせていただきたいと思います。  


     (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)