柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「ギデオンと300人―その後―」士師記7章15〜23節

 前回の箇所においては、士師記7章前半を中心に見ました。ギデオンと300人のイスラエルの民が強くされて、ミデアン人に勝利することができたのは、
①彼らの中から恐れの心が取り除かれたこと(3)であり、
②敵前意識が植え付けられたことによる(4〜)ことでした。
 しかし、現実の生活の中で、私たちはただこれらのことが私たちの上になされたからといって簡単に強くされるわけではありません。私たちは弱い者です。私たちの現実は弱いのです。それは大勇士ギデオンとて同じことでした。これらの選別がイスラエルの民の上になされたからといって、簡単に強くされるはずもないのです。 
 いよいよギデオンとイスラエルの民とは明日戦いに出かけます。「その夜」(9)、ギデオンは恐れていました(10)。この民300人をもってミデアンの精兵13万人余りを果たして撃つことができるであろうか。心配で心配で夜も眠れなかったのではないでしょうか。私たちの身の上においても同じことが起こるものです。心配で心配で寝付けない、夜も眠れない、そのような経験はないでしょうか。人間は弱いのです。強くされたとはいっても外見は何も変化がありません。「その夜」、主は語られたのです。「立てよ」と。
 聖書中においては、しばしばこの「その夜」とは、その人の転機的な出来事の中で用いられます。例えば族長ヤコブの生涯においては、ヤコブの生涯における最大の出来事「ヤボクの渡し」(32章)において「その夜」の出来事があります。彼はやはり眠れぬ夜を過ごしたようです。「その夜」彼は主と明け方まで格闘したのです。その結果彼は「イスラエル」という名を頂きました。
  私たちにもしこのギデオンのような「その夜」があったら、主と格闘してみましょう。「立てよ」と御言葉を頂くまで祈りぬいてみましょう。きっと主は語りかけて下さいます。その主の語りかけを信じ抜くことが、主への信頼です。主の言葉への信頼です。ギデオンはその主の御言葉を信じたのです。
 
しかし、ギデオンが主から御言葉を頂き勝利を確信したからといって、後は何をしても勝利ということではありません。彼は勝利の確信を得た後、作戦を立てたのです。イスラエルの民300人を3つの組に分けて戦ったのです。すなわち「共同の勝利」を得たのです。そのことが顕著に表れている箇所は「そしておのおのその持ち場に立ち、敵陣を取り囲んだ」(21節)ということです。彼らはおのおのその持ち場に立ったのです。一人残らずその持ち場に立ったのです。誰一人として「自分くらいは…」とは思わなかったのです。300人いれば、自分一人くらいは…と思いやすいものなのですが、主の民の300人は自分に与えられたその持ち場に立ったのです。その結果、主は勝利を与えてくださったのです。
 私たちも、勝利を頂くためにはこの信仰が必要です。「自分一人くらいは教会に行かなくても…」という不信仰、「一人くらいは…」と思ってしまう誘惑に勝利していくことが、結果として主が勝利を与えてくださるための第一歩なのです。

   (説教者:西大和キリスト教会牧師 宮澤清志)