柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「『神の子』であるために」 Ⅰヨハネ2章28節〜3章3節

 「私は神の子です」。この言葉は、私たちの存在のアイデンティティーを指す言葉であり、私たちが正面から聴くべき言葉といってもいいかも知れません。
 もちろん、この「神の子」という言葉は、「おとな」に対する「子ども」という意味ではありません。これは、私たちは「神の作品」であり(エペソ2章10節)、その意味においてはすべての人間は年齢の如何を問わずに「神の子」であるのです。

 子どもは親に似るものです。そのことは、子育てをされた経験をもっておられる方や教育者の方にとっては自明のことでしょう。子どもは親に似るのです。似てほしくないところまでも似てしまうものです。それは、子どもは親と常に一緒にいるからです。子どもは親を観察しているのです。その結果、親の行動やしぐさ、言葉までも身につけてしまうのでしょう。

 それは、私たちと神との関係においてもそうであるべきなのです。私たちは神の子です。もし私たちが神の子であるとすれば、私たちのしぐさや言動は、親である神ご自身に似るはずです。しかし、私たちはまだ父なる神を見たことはありません。どうすればよいのでしょうか。

 今日の箇所の中には「御父がどれほど私たちを愛して下さるか、考えなさい」(3章1節)という御言葉があります。この「考えなさい」とは、むしろ「神の児と我等の称えられんために、父が我等に与え給いし愛の如何なるかを見よ」(新契約聖書)とある「見る」という意味です。私たちが「神の子」と呼ばれるためには、「見る」ことが必要なのです。

 では何を「見る」のでしょうか。それは「神の愛」ということです。私たちが神の子であり続けるためには、神の愛を見続けることが必要なのです。そして「神の愛」の最大の現われが、イエス・キリストご自身なのです。十字架にかかられたイエス・キリストなのです。よみがえられたイエス・キリストなのです。このお方を常に見続けるのです。それが「神の子」である秘訣なのです。それが、御子のうちにとどまる秘訣なのです。

(説教者:西大和キリスト教会牧師 宮沢清志)