柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「教会が若かった時」使徒行伝1章1〜11節

 あらゆる時代のキリスト者たちと教会を目覚めさせ、鼓舞してきたのが「使徒行伝」です。その時の「教会はまだ若く、躍動していて、しみも汚れもない時でした」(フィリップス)。そこには、聖霊によって変えられ、聖霊に満たされた人々によって力強く前進する姿と秘訣が明らかにされています(8節)。


Ⅰ.キリストの証人が用いられる。

 キリストの十字架と復活と昇天によって、私たちの目には主イエスを見ることができなくなりましたが、キリストご自身は、今も生きて臨在され、働き続けておられます。それは、聖霊によって、地理的・時間的に何物にも拘束されず、世界的な拡がりをもって働きを継続しておられるのです。
 その働きは、『わたしの証人となるであろう』とあるように、キリストの証人を通してです。その証人は、イエス・キリストの十字架と復活という歴史的な出来事と、そのキリストの事実によって自分自身の身の上に起こった救いの変革という出来事を証言します。「証人」という言葉には「殉教」という意味合いがありますが、時に命を賭けるということもあるのです。私たちの日常の社会でも、損得や利害がからんだ問題に取り囲まれると、ありのまま正直に証言することがどんなに勇気のいることかは、互いが知ることです。
 キリストの証人は、決して居心地のよいと言えない『エルサレム』のような所から始まって、『地の果てまで』との拡がりの中で用いられていくのです。


Ⅱ.聖霊が臨まれる。

 主イエスの弟子たちがキリストの証人となり得たのは、彼らの人間的な魅力のゆえでなく、三年余の世界一の訓練を受けたからでなく、彼らの熱心のゆえでもありません。キリストの証人となるために与えてくださる聖霊の力によるのです。『聖霊が・・・くだる時』と、とどまり続け、また働き続けてくださるのです。
 聖霊が臨むことによって与えられる力とは、キリストの証人とさせていただくための力であり、いつでも、どこでも、どんな状態であっても『イエスは主である』と証しさせてくださるのが聖霊です(Ⅰコリント2章3節)。また、『御霊はわたしに栄光を得させる』と約束されたように(ヨハネ16章14節)、聖霊による証しはキリストの栄光のみを現して、
キリストの証人としての任務を全うさせてくださるのです。
 さて、私たちがキリストの証人であることに、無力さを覚えたり、そのために言い訳をしたりしがちです。それは、聖霊の力が働くことの障害が、たとえば傲慢とか不信仰とか不従順といったものが私たちの内にあるからです。私たちは主イエスの手に握られた鉛筆のように、ただ主イエスに使っていただくために、自分を明け渡すだけなのです。


 教会が若いとは、時間的な意味合いで言うのではありません。絶えず聖霊が臨み続けているキリストの証人によって、キリストの証言がなされ続けて前進する教会なのです。

                            (説教者:牧師 川原崎晃)