柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「福音を伝える」マルコ16章15-20節

「福音=グット・ニュース」とはどんな、良いニュースなのだろうか?
それはイエス・キリストを信じることにより、与えられる大きな恵みである。



福音とは 
第一に、イエス・キリストを信じると、「罪の赦しと永遠のいのち」が与えられる。
マルコ16章に主イエスの復活の記事が記されている。
ここに復活の事実がある。主イエスは死んで、三日目によみがえられたのである。
では、この「十字架と復活」何を意味しているのだろうか。
私たちは罪のために、神の前に大きな罰を受け、結果として、永遠の滅びに、永遠に繫がれることが定まっている。しかし、イエス・キリストが身代わりになり、私たちの全ての罪を背負い、十字架による死という罰を私たち人間の代わりに受けて下さったのである。
遠い昔の出来事であるが、神の聖霊によるなら、自分と結び合わされ、「この十字架の罰は私の罪の身代わりであったと」私たちが告白することで、主イエス様に繋がれ、イエス様のものとされるのである。ここでは信じる事が、非常に重要な事として挙げられている。
v14 復活の主イエスは、「どうして、信じないのか」と責められた。信じる事がなければ、キリストと私たちとは何の関係もない。
信じる事には、主イエスと私たちを結び合わせる綱の様な役割がある。信じる事が非常に特別に大切な事だから、優しい主イエス様も不信仰を責められたのである。
v16信じる証しとして、バプテスマ=洗礼を受けるときー「これは私のものだから、この  人の罪は私が引き受けます」と罪から、滅びから、救われるのである。
v17信じない者には、主イエスは「私は知らない」と言われる。
  ー主イエスに関係ない人は、自分自身の罪に定められるしかないのである。―



「福音」とは
第二に、主イエスと一緒の生活をすることである。毎日が嬉しい… 心が変えられる
バプテスマ=洗礼は、いうなれば 結婚式 のようなものである。
罪を赦し、愛してくださる主イエス様と結婚式をしました。ここから結婚生活が始まる。
v20「主は彼らと共に働き」この主は、ペンテコステにくだ降られたご聖霊のこと。
昇天された主イエスの代わりのご聖霊は、主イエスを崇めさせる生活である。
私たちの中には救われたのに、従えない自分、罪の性質がある。
エス様と一緒に生活をしていくと、イエス様によって救われたのに、従えない自分、不信仰な自分に気づく。悔い改めて、いつも主イエス様の光の前に生きていくと、やがて、導かれ自分を全てイエス様に全部明け渡し、委ねる。という時が来る。それは、自分の内にイエス様が入ってきて下さる時であり、ここからは、自分とイエス様と2人ではなく、イエス様と1つになり、完全にイエス様のものになる。イエス様が反対に自分の内に来られるという体験をするように導かれる。ご聖霊の働きである。
毎日聖書を読んで、お祈りするディボーションは、その為にどうしても必要である。
それが習慣になると、聖書のみことばを通して主がどういう方なのか分かって来る。
苦しいとき、辛いときに、どうしたらいいか分からなくなってしまうとき、日頃、読んでいるみことばが、ご聖霊により、心に語り、迫って来る。従い続けるとき、ご聖霊が私たちを成長させてくださるのである。。




「福音」とは   
第三に、人生の目的がわかるー使命がわかるー
何のために生まれ、何のため生きるのか分からなくなって悩んだ事があるか?
命の代価を払って買い取られた私たちは、主イエス様のものとさた。いわば、私たちは イエス・キリストに命の代価を払って買い取られた「主のもの」である。イエス様の為に生きる者である。そして、イエス様が私たちにして欲しいことは、
v16「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」である。
一緒に福音を宣べ伝えてくれないか!と主イエス様が言われるのである。
v20「主は彼らと共に働き…」目に見えないご聖霊は力を与える方です。 
福音を伝えようとすると、この世の主権者である悪魔との戦いが始まる。悪霊も戦いを挑んでくる。しかし、私たちと一緒に御聖霊が主イエスの名により、戦って下さるのである。
私たちは神の国の全権大使として、悪魔が支配するこの世で主イエス様を証しする。
必ず、ご聖霊は私たちを助けてくださり、このv17,18はその力の表れが書かれている。
聖霊に導かれその信仰が与えられたら、私たちもそうすることができる。主イエスの名によるなら、必ずできると信じて行うなら、その通りになるのである。
「福音」とはイエス様ご自身ということもできる。この方の命に預かり、この方に愛され、守られ、この方と生き、歩み、この方に聞き従う。 この素晴らしい方を、全世界に出かけて行って他の人に伝えよう。全世界は私たちが今いる所から、始まるのである。




      (宣教者:柏原教会副牧師 西本秀子)