柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「救いの喜び」Ⅰペテロ1章3-9節

今日は、召天者合同記念礼拝ということで、ご遺族の方々も礼拝に集って下さり感謝です。ときどき「仏教では法事や追善供養がありますが、教会では何かあるのですか」と聞かれることがありますが、教会では故人を偲んで記念会を行います。と応えています。
 神様は私たちを人として造られ、私たちは人として生き、そして人として召され天国へ行きます。ですから、故人も人間として敬い、人として偲ぶのです。何よりも、神様の救いにあずかったことを私たちは、神様に感謝を献げ、そしてその救いを私たちすべての者が受けることが大切なことです。


1,生ける望みを持つ
 「死者の中から、イエス・キリストがよみがえられた」とありますが、キリスト教は復活の宗教です。キリストがよみがえられた、このことが全世界に伝えられたのです。今も、イースターは世界中でお祝いされています。このことがなければ、キリスト教はなくなってしまったのではないかと思います。
 キリストは死に勝利された。それを信じる私たちも、死に打ち勝ち、その喜びにあずかることが出来るのです。そのいのちは、この世で長生きできる命ではなく、天国で永遠に生きるいのちなのです。朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ事ができると神様は私たちに約束して下さっています。
 私はこのことで、アンドリュー・カーネギーを思い出します。アメリカの鉄鋼王と呼ばれ、スコットランドの移民の子から億万長者になった人です。まさにアメリカン・ドリームを実現した人です。でも彼は、慈善事業にも貢献しました。それは、娘さんの死がきっかけであったと言われています。娘さんの夢を見て、彼女は天国では豊でない天に宝を積んで欲しいと言ったのです。彼は一念発起し、自分のために使うのではなく、貧しい人たちのために使うことを決心し、捧げたのです。


2,魂の救いを得る
 私たちの心の喜びは、お金や名声、力ではないと思います。8節には、「栄えに満ちた喜び」という言葉が出ていますが、それはまさに、復活のいのちの喜びです。イエス・キリストが十字架につけられ死んだときは、みな悲しみました。しかし、キリストがよみがえられたことを知ったとき、みな喜んだのです。
 私たちは今、キリストの姿を見ることは出来ません。しかし、8節にあるように、信じる事ができるのです。そしてまた、キリストを愛することも出来ます。私たちが礼拝にでる。それがキリストを愛することです。キリストを礼拝する、キリストに栄光を返す。それが私たちの喜びとなるのです。なぜなら、復活のキリストに出会った弟子たちは、主を見て喜びました。そして力が与えられ、彼らは希望を持って生きる者、何よりもキリストを愛する人たちとなったのです。
 それは今日でも同じです。私たちはキリストを見たことはないけれども、信じており、様々な試練や困難はありますけれど、キリストに従っていく。その信仰によって生きている。礼拝を献げる。これが救いの現実です。
 死は、生ける者と死にたる者を隔てますが、復活の希望は死者と生者を繋ぐ者です。なぜなら、同じ神を天国においてもこの地上でも、礼拝しているのです。
 6節にある、大いに喜んでいるのは、復活の希望があるからです。8節の栄えに満ちた喜びも、私たちは、死んでも復活し、天国において共に神様を礼拝できる、その希望を持つことが出来るからです。
 先に召された方々はその信仰を持ちました。イエス・キリストを救い主として信じ受け入れたのです。それだけのことです。しかし、私たちもキリストを信じることによって永遠のいのちが与えられ、栄えに満ちた喜びを心にいただいて試練に勝利していくのです。

(宣教者:柏原教会 西本耕一牧師)