柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「新しい人を着る」コロサイ3章1-11節

私たちは今、地上で生活していますが、これがすべてではありません。また目的でもないのです。聖書を読むと私たちの人生の目的また生き方をしることが出来ます。

1,上にあるものを求める
 パウロはここで、「上にあるものを求めなさい」と勧めています。上にあるものとは何でしょうか。一つには、天国が考えられます。それは2節に「地上のものを思わず」とあり、「天にあるものを思いなさい」とあります。私たちはこの世のことを第一にするのではなく、自分の「永遠」がいったいどこにあるのか考えなければなりません。天の御国を思い、そこで生活することを考える必要があります。この世のことはつかの間であり、やがては永遠のときが来るのです。自分は天国で生きるのか、それとも地獄で永遠を過ごさなければならないのか、私たちは今、判断しなければなりません。
 そして、上にあるものとは、キリストご自身の事です。すなわち、「キリストが、神の右に座を占めておられます。」とある通り、キリストをまず第一に求めることです。なぜなら、キリストによって私たちは永遠のいのちにあずかることが出来ます。永遠のいのちを得ることのできる条件は唯一、御子すなわちキリストを信じることによって永遠のいのちを与えて頂くことが出来るからです。
 ですから、1節では「キリストとともによみがえらされたのなら」とあり4節には「私たちのいのちであるキリスト」とパウロははっきり証ししているのです。
 そして、天国で生きるなら11節に出てくるような、分け隔てはなく、私たちは平等であり、公平に愛されて生きる者となることができます。そして何よりも「キリストがすべてである」とパウロは断言しているのです。

2,新しい人を着る
 キリストを絶えず求めて生きることは、「新しい人を着る」事です。新しい人を着るためには、「古い人を脱ぎ捨てる」ことです。古い人とは8節に出てくるものです。そこでは、捨ててしまいなさい、と言われています。さらには、5節で、「殺してしまいなさい」とパウロは言っています。なぜなら、そのようなことを行っていると、「神の怒りが下る」からです。永遠の滅びへといってしますのです。
 そのようにならないように、古い人を脱ぎ捨て、悪しきものは殺さなければなりません。古い人とは、自分の自我のことであり、はたして自分の我がそれほど素晴らしいものであるのか、考える必要があります。パウロは律法主義者でした。しかし、何の満足も喜びも平安もなかったのです。自我に生きることは、まったく矛盾した生き方でした。
 それでは彼はどう解決したのか。ガラテヤ書を見ると、「私はキリストと共に十字架に付けられた」(ガラテヤ2:20)と言っているのが5節の「殺してしまいなさい」であり、古い人を脱ぎ捨てることになるのです。そして、「新しい人を着た」とは造り主すなわちキリストに似た者となり、ますます新しくされる、すなわちキリストが内に生きて下さることに他ありません。
 私たちの新しい生き方とは、キリストが私たちの内におられて、キリストに聞く、キリストに従う生き方をすることです。そしてやがて、天国の栄光にあずかる者となるのです。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)