イエス様は死の中からよみがえられて、すぐに天国に行かれたのではありません。たびたび弟子たちにご自身を現されました。そこには大切な約束がありました。
1,御言葉の成就
その一つは、聖書のことば神の約束が成就すると言うことです。聖書は66巻ある分厚い本ですが、一体何が書いてあるのでしょう。44節にはモーセの律法、預言者、詩篇となっていますが、これは旧約聖書のことです。旧約聖書は大きく三つに分けることができます。
そして旧約聖書が何を語っているのか、誰のことを言っているのでしょうか。それは「わたしについて」とイエス様は言われました。実は、聖書はイエス・キリストについて書かれてあるのです。旧約聖書は、救い主メシアが来られること、そしてメシアによって私たちが救われることが約束されていました。その預言はおよそ300以上あると言われますが、必ず全部成就すると、復活されたイエス様は弟子たちに約束されたのです。
イエス様が弟子たちに現れたのは一度や二度ではありません。10〜11回、現れて語られました。エマオに逃げて行く弟子たちにも現れ、語られました。その時も聖書全体から、ご自分のことを明確に語られたのです。ですから、信仰において一番大事なのは御言葉です。何よりも、聖書のことばが大切であり、信仰の基本なのです。私たちは、自分の感情や、理解によって信仰を保つのではなく、聖書のことばを自分の内にいただいて、信仰が保たれるのです。
2,聖霊の働き
それでは私たちは聖書を読んで、すぐにイエス様のことがわかるでしょうか。ある程度は理解できると思います。ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、30歳になって神の国を宣べ伝え、そして十字架にかかって死なれました。客観的なことはわかると思います。
しかし、それで、はたして、イエス様は自分の救い主であるとすぐ信じられるでしょうか。非常に難しいと思います。自分の経験を通しても、私はすぐに信じられませんでした。十字架の意味もわからなかったし、聖霊によって生まれるとか、まして、死人がよみがえることも全く信じられなかったのです。
それでは何で信じられるようになったのか。45節に「心を開いて」という言葉があります。まさにそのことによって、イエス・キリストがわかった、聖書が理解できる、信じられるようになった。と言うことです。エマオの弟子たちも最初、目は遮られて見えませんでした。ところが目が開かれるとわかったのです。そして大急ぎで、エルサレムに帰りイエス様はよみがえられたと報告したのです。パウロもまた、目から鱗のようなものが落ちて見えるようになり、イエス様に従う人に変えられたのです。
私たちも又、心が開かれなければなりません。誰が開かせて下さるのでしょうか。御聖霊です。御聖霊が私たちの心を開き、悟らせ、信じることができるようになるのです。
あのペンテコステの時、多くの人が悔い改めました。そして、罪の赦しが与えられて3,000人の人がキリストの弟子となったのです。それは聖霊の御業でした。
(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)