柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストを伝える」ローマ10章11-17節

パウロはかつてキリスト教に反対する人でした。ところが復活のキリストにあった時に彼の生涯は全く変わってしまったのです。以前は律法学者でありパリサイ人でした。しかし、彼はむなしい人生を歩んでいました。自分の欲することができない、返って自分が憎んでいることをする。何と惨めな人間だろうかと悩んでいたのです。彼は自分の内にある偽善に、罪に悩んでいました。それを解決したのがイエス・キリストです。


1,彼に信頼する者は失望しない

彼はイエス・キリストに会い、新しい命を得ることができました。キリスト・イエスにある永遠のいのちです。それは死んでも生きるという復活のいのちです。そのいのちに与ったパウロは、喜びと感謝に満ちあふれてキリストを伝えました。
彼ほど困難に遭った人は他にはいないでしょう。しかし、復活のキリストは彼を様々な困難から引き上げ助けられました。その都度彼はキリストは生きておられることを体験し、さらに感謝と喜びに満たされたのです。
クリスチャン人生とは、たとえ困難があってもキリストは乗り越えさせて下さる必ず解決して下さる人生です。神我らと共にいます。というのが聖書のメッセージです。そして、キリストに信頼する者は失望させられることがないということは、聖書の御言葉であり、彼の実体験なのです。


2,主の御名を呼び求める

それでは誰が救われるのでしょうか。熱心に救いを求める人が救われるのでしょうか。あるいはまじめに生きてきた人が救われるのでしょうか。そうではありません。まじめな人でもそうでない人でも救われます。12節をみるなら、区別はありませんとはっきり書いてあります。聖書の知識があってもなくてもそれは問題ではないのです。
ただ一つだけ条件があります。それは13節にある「主の御名を呼び求める」ということです。難しい修行をしたり、聖書を読んだりお祈りすることではないのです。ただ単純に「主の御名を呼ぶ」9節にあるように「あなたの口でイエスを主と告白」することです。救いは単純で簡単なことです。子どもでもできます。また病気で寝たきりの人でもできるのです。ただし、イエスを主と告白することには抵抗があるでしょう。パウロもそうでした。簡単なことですが、ナザレの大工の息子を主と呼ぶことができなかったのです。彼には、心に偏見がありプライドがありました。それが「イエスを主と告白」することを妨げていたのです。彼の自我が、へりくだってイエスを主と告白することを妨げていたのです。では何が彼を救いに導かれたのでしょうか。復活のキリストです。十字架にかかられ、死からよみがえられたキリストが彼を救いに導かれたのです。


3,キリストを伝える

今日、このキリストを伝えるのは何でしょうか。二つあります。一つは聖書です。神の御言葉です。キリスト教の信仰は御言葉信仰です。それは17節にあります。キリストについての御言葉によって、つまり聖書を通して私たちはキリストを知ることができるのです。この御言葉を聞いて信じ救われるのです。
そしてもう一つのことは、それを伝える人が必要です。14節に「宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう」とあります。キリストを宣べ伝える人が今も必要です。神様は、キリストの勝利すなわち十字架の罪の赦しと復活―死に打ち勝った喜び、希望を告げ知らせる人を必要とされるのです。救われたのは救わんがために、自分がイエス・キリストを信じて救われた、この喜びをさらに他の人にも伝える者とさせて頂きましょう。


                      (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)