柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「この方以外に救いなし」使徒4章9-12節

ペテロとヨハネが、エルサレムの神殿にある美しの門で物乞いをしていた生まれつき足の不自由な人をいやしたことから問題が起こりました。彼らは捕らえられ、牢屋に入れられました。しかし、彼らはくじけなかったのです。しかも、世の権力者、指導者、長老、学者や大祭司の前で堂々と話をしたのです。実は私たちにも同じことが起こりうるのです。病気になったり問題が発生したりします。しかし神様の働きによって病がいやされ、問題が解決し、心が喜びで満たされることができるのです。


1,キリストの御名には力と権威がある

ペテロとヨハネを調べた人は、何の権威によって誰の名によってこんなことをしたのかと尋ねました。当時は大切なことでした。すべて重大なことはローマ皇帝カイザルの名によって行われたからです。
そのときペテロは、イエス・キリストの御名によると答えました。キリストの名には権威と力があります。お医者さんでも直せなかった足の不自由な人が、たちどころに元気になって跳んだりはねたり歌ったりしたのです。それは、奇跡でした。しかし、イエス・キリストの名によってペテロを通して神様はいやされたのです。それは今日でも同じです。私たちは神様にお祈りするとき何の名前を使うでしょうか。イエス・キリストの御名です。キリストの名前には力があるのです。病をいやし、悪霊さえも逃げていくのです。私たちが不安なとき、心に恐れを感じる時、危険なときイエス・キリストの御名によって祈るなら、力が与えられ困難を乗り越えていくことができるのです。


2,キリストは私たちの礎(いしずえ)

キリストは私たちの礎です。礎とは何でしょうか。当時の家は石を積み上げ壁を作り、それを角で組み合わせて家を建てました。そのときの角の土台となるのが礎です。
キリストはまさに家庭の、また今日の教会の礎です。壁と壁をつなぎ合わせて支えるように、イエス・キリストは考え方も生き方も、生活背景もまったくちがった私たちを一つに結び合わせて下さる方です。まさにキリストは、教会の角のかしら石なのです。私たちは、キリストによって救われ、神の子とせられキリストによって一つとなっていることを信じるものです。当時の教会は、いろんな国の人が混ざり合わさっていました。特にエルサレムは世界各地から来た人でいっぱいでした。そんな人々が一つとなるのは至難の業です。しかし、キリストは人を一つにする力があります。キリストの十字架こそ私たちに和解を与え、私たちをひとつにする力があるのです。私たちもキリストの十字架によって赦されるのです。


3,永遠の滅びからの救い

病気がいやされたとしても、問題が一つあります。それは私たちは永遠に生きられないということです。私たちには死の問題があります。だれがそれを克服することができたでしょうか。 ある人が、小さいときからイエス様の話を聞き、当たり前だと思っていたのですが、学校の教科書にイエス・キリストが出ている。しかも、世界の歴史の中心におられる。そんなにすごい人なのかと改めて驚いたそうです。その人は聖書を、おとぎ話と同じ用に捉えていたのですが、そうではなく、世界を変え人を変える救い主、神であることがわかりました。 それだけではありません。キリストは私たちを永遠の滅びから、死から救って下さる方です。いったいだれが私たちを滅びから救うでしょうか。天国に入るには、罪の解決が必要です。だれが、それを赦してくれるのでしょうか。イエス・キリストです。私たちを赦して下さるのは、キリスト以外にはないのです。

 この日本にキリストの救いを伝えたのはザビエルですが、彼を日本に呼んだのはヤジローという人です。彼はキリストによって罪赦され、救われて、この救いを家族に親戚に日本にいるすべての人に伝えたいとザビエルを日本に招いたのです。そして、多くの人が福音を聞きました。そして、今日に至っています。キリストには私たちの罪を赦し、天国に入らせて下さる力があるのです。

 この人以外に救いはありません。イエス・キリストの御名によって、滅びから救っていただきましょう。

          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)