柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

『あなたは高価で尊い』イザヤ43章4節

2013年9月29日(日)
柏原教会・特別伝道礼拝

題『あなたは高価で尊い』イザヤ43章4節
講師:平岡修治牧師
(橋本バブテスト教会牧師・全日本リバイバルミッション伝道者)



柏原教会と縁の深い豊田龍彦先生は、私と神学校が同期で、今から40年前33歳で天国へ帰られました。彼は日本一の路傍伝道者でした。彼が今も願っていることは、とにかく「伝道してほしい」ということでしょう。

ですから私も今日のみことばの『わたしの目には、高価で尊い。わたしはあなたを愛している』:イザヤ43章4節から、イエス・キリストとはどういうお方か、お話したいと思います。

ある時、イエス様が話されたたとえ話に、こういうのがあります。

『女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、「なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください」というでしょう。』
神の国というのはこういうものです。『女の人』というのは、誰のことかというと『神様』のことです。『なくした銀貨』は『人間』のことです。『あかり』は『キリスト』のことです。神様は、イエス・キリストというあかりを通して、なくしたものを探し出して下さる。見つけ出した時は、天国で大きな喜びが起こるのです。クリスチャンというのは見つけられた人です。

なぜ神様は人間をお金にたとえられるのでしょうか。

ここに2枚の1ドル紙幣があります。右手にあるのは、幾人もの手を経てきた使いふるされた1ドル紙幣。左手にあるのは新札の1ドル紙幣。古いものは98セントで、新しいものは1ドル5セントというわけにはいかないんです。1ドルは1ドルです。

人間も年老いているから、若くてバイタリティーがあるからと価値が違うでしょうか。

『わたしの目には、高価で尊い。わたしはあなたを愛している』と、すべての人に言われています。『愛している』とはどういうことかというと、『相手の側に立っている』ということです。

イエス・キリストはこの世に、人間のかたちとして、この地上に来て下さり、人間の側に立って下さった。これが愛の始めであり、愛の完成は十字架です。

自分のためではなく、相手のために何かをする、愛は周りを変えるのです。


お金の二番目の特徴は、野口英世聖徳太子などの肖像が描かれていることです。外国でも中国は毛沢東アメリカは、リンカーンジョージ・ワシントンなどの肖像が描かれています。キリストの時代も、ローマ皇帝の肖像が描かれていました。お金にたとえられた人間には、何が描かれているのでしょうか。神様という肖像が心に描かれているのです。人間だけが、永遠を思い神様を思う心が与えられたのです。その神様はどういう神様でしょうか。天と地をつくられた神です。目には見えませんけれども、信じれば見えるのです。どのようにして信じるかは今日の午後お話しいたします。


三番目のお金の特徴は、人間が手に持った時に価値が出るということです。風に飛ばされた千円札が森の枯葉の中で、「わたしは千円札だ、お前たち葉っぱとは違う」と言っても何の価値もありません。

人間は神の手に握られた時、価値が出ます。神様の手に握られた時、生きる目的がわかります。

人はだますことが出来ても、神をだますことはできません。隠れたところを知っておられる神に、罪を告白し、自分の罪の身代わりになって下さった神の手に握られるとき、あなたの価値が発揮されるのです。悔い改めて、信じましょう。お祈りします。