柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の救いの計画」箴言16章1-6節

自然界も実りの秋を迎えました。私たちの心をも豊かにしていただきたいと思います。


1,人生の計画

聖書の中に収穫の秋を迎えた人の話が出ています(ルカ12章)。非常に豊作だったので、「倉を建てよう。あとは飲んだり食べたり楽しく過ごすだけだ。」と言った矢先、天から声があり「愚か者、お前の命は取り去られる、お前の得たものは誰のものになるのか」と言われ死んでしまったのです。
確かに私たちは、計画します。人生設計する人も多いです。特に老後のことが心配だと思う人も多いでしょう。しかし、その計画の中に神様が入っているでしょうか。ほとんどが神様抜きで、自分のことだけ計画しているのではないでしょうか。しかし、私たちの命は自分の力で寿命を延ばしたり、長生きすることはできないのです。
それとは逆に、悲惨な人生を歩んできた。ろくでもない人生だったと言われても大丈夫です。変えられることができます。新約聖書でイエスさまが語られた中にラザロという乞食の話が出て来ますが、彼はひどい病を負い、残飯をあさって食べる極貧の生活をしていました。彼は死んだときどうなったでしょうか。彼は天国に行き、信仰の父アブラハムの懐に抱かれたのです。彼は永遠の安らぎを得ることができたのです。それとは対照的に、乞食のラザロを見向きもしなかった金持ちは贅沢三昧の暮らしをし、彼も死にました。しかし彼は天国に行けず、永遠の滅び、火と硫黄の燃えさかる所に投げ込まれたのです。
いったい二人の人生の違いは何だったのでしょうか。それは、自分の人生の計画の中に、神様のことを考えているか否かの違いだったのです。ラザロはたとい悲惨な人生でも、神様は豊かに報いて下さる。その計算があったのです。そして彼は人生の勝利者となりました。
箴言は私たちに、「あなたのしようとすることを主に委ねよ」(3節)と言っています。あなたの計画の中に神を加えよと言うことです。神様のことを考えるなら、神様はその計画を導かれ、最善のものとして下さるのです。


2,創造主を信じる

4節には創造の神の働きが語られています。時代は便利になっています。車が自動で動くようになる。そのデモを行っていました。人間の発明はすごいと思います。しかし、それ以上にすごいことは、その人間を造られた神様がおられると言うことです。私たちは目的を持ってものを作ります。マイクはマイクの目的があります。私たちも、実は偶然に現れたのではなく、目的を持って造られたものです。お金も人間の手によって握られたら、役に立ちます。私たちも神の手に握りしめられるときに役に立ちます。自分の存在価値がわかり、生まれてきたことのすばらしさがわかります。
わたしは何のために生まれたのだろうか、と悩む人は、造り主を知ることです。そのためには聖書を読むことです。天地創造の神は、裏切ったアダム、エバをも愛され彼らを生かされました。裁かれませんでした。エデンの園を出なければならなかったのですが、神様は彼らに獣の皮を着せられました。おそらく羊の皮ではないかと思います。それは、イエス・キリストの十字架を表しています。神様は裸の私たちを覆うために、キリストを犠牲として下さり、義の衣を着せて下さったのです。3,私たちを赦すもの
アダム、エバの失敗は今日の私たちにもあります。彼らは自分の欲望に惹かれ、そしてサタンのワナに陥り罪を犯しました。その実を食べたら素晴らしいものになれる、サタンに欺かれ、食べるのに美味しい、自分の欲望に負けて罪を犯したのです。
罪の結果どうなったでしょうか。彼らは自分の裸を恥と思いました。そして、自分の手で隠そうとしたのです。それが、人間の罪がもたらす結果です。自分が恥ずかしい、そして隠そうとする。ウソをついたり、さらに人をも殺してしまうことがあるのです。罪の結果は悲惨なものです。
そのような私たちを救うために、神様はひとり子イエス・キリストを私たちに使わされたのです。それは十字架の裁きによって私たちを赦すためです。6節のめぐみとまことはイエス・キリストによって実現したとヨハネは証ししています(ヨハネ1:17)。彼はまさに恵みの人愛の人でした。彼は罪人の友となり、病人や弱いものを招き、彼らを立たせ力を与えられました。そして、真とは罪人のために身代わりとなって十字架に死なれたことです。全ての罪は十字架によって赦されます。そして、私たちには天国で生きる永遠のいのちが与えられるのです。私たちの心にイエス・キリストをお迎えし、人生の計画を天国にまでつなげましょう。


  (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)