今年も11 月になり急に寒くなりました。アメリカでは「感謝祭」のお祭りが行われます。イギリスから移民として渡ってきた人たちが、寒い冬を越せない。その時先住民の人たちが穀物を分け与え、そして収穫の感謝をともに献げたのが始まりと言われています。
今日は私たちも、収穫を与えて下さる「神に感謝する」このことを詩篇103篇11~5 節から学んでまいりましょう。
1,主がよくして下さった
①「咎を赦し」、とありますが、ダビデには責められるところがありました。
姦淫の罪を犯したということです。しかし、その罪も彼は認め、告白し、赦されたのです。そのことをダビデは感謝しました。私たちも自分の心に咎めるものがあるならば、すべて十字架のキリストに告白し、赦し、きよめていただいて神様の前に出るものとさせていただきたいと思います。
②「すべての病を癒やされる」神様はまた、私たちのすべての病を癒やして下さる方です。
ヒゼキヤという王様は、不治の病にかかりました。しかし、彼は神様に心を注いで祈ったとき、彼の病は癒やされたのです。そして、主なる神をほめたたえました。新約聖書を見るときに主イエスも多くの人を癒やしています。12 年間長血を患った女性も、イエス様の衣の房にさえ触れれば癒やされると信じて、癒やされたのです。
③ 「いのちを穴から贖われる」キリストは癒やすだけではありません。
死人をよみがえらされることができるのです。会堂司の子どもや、ベタニヤのラザロをもよみがえらされました。穴から贖われるとは、死んでいく者に対して、自分が身代わりとなり、いのちの代価を払って、私たちを神のものとし、どんな悪人でも罪が赦されて天国に入らせていただけるのです。
2,一生を良いもので満ちたらせる
良いものとは何でしょうか。神の恵みとあわれみです。恵みとは受ける資格がないのに与えて下さる幸い幸福です。物質的にも必要なものが与えられ、衣食住も神様は与えて下さいます。空の鳥を見よ、とイエス様は言われました。蒔くことも刈ることもしないけど、天の神様はこれを養っておられる。野の花を見よ、ソロモン王より着飾らせてくださる。あなたがたはこれらのものよりもまさったものではないかと言われました。
そして、神様はあわれみ深い方です。傷つき弱ったものをあわれみ、くすぶった灯心を消すこともなく、折れた葦をもおられない、飼う者のいない哀れな羊をも養って下さる方なのです。それは今日、慰め主御聖霊によって、神様のあわれみは私たちの心に注がれ、慰めと力が与えられるのです。
ローマの牢獄にいたパウロは、目も不自由な状態でしたが聖霊に満たされ、喜びと感謝に満ちあふれて、神様からの手紙を書き励ましを与えたのです。
私たちが生きている一生の間、神様は私たちの心を喜びでみたし聖霊によって溢れさせて下さいます。
3,私たちは新しくなる
「あなたの若さは、鷲のように新しくなる」とあります。鷲は羽が生え替わるそうです。その時、体を岩にぶつけて古い羽を振り落とし、新しい羽が生えるのを促進させるそうです。それは体を傷つけることであり痛みがあります。
私たちの信仰も痛みを伴うものです。苦しみもあります。しかし、キリストの十字架によって痛み悲しみつらさが取り除かれ、私たちの心は新しく造られます。
過去のものにまさって新しい素晴らしい未来が約束されているのです。復活のいのちに与るのです。そのことを私たちは信じてさらに信仰に励まさせていただきましょう。
(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)