柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「我らを負われる主」イザヤ46章1-4節

9月16日は敬老の日です。若い人も老いて自分の力では生きられないときが来ます。それでも、救い主イエス・キリストを信じる人は大丈夫です。


1,偶像は人の重荷となる

1節のベルやネボはバビロンにあった偶像です。お祭りがあるときは、家畜に乗せて運ばれたそうです。もちろん本当の生きておられる神ではありませんから、歩いて行けることはありません。おそらく山車のようなもので運ばれたのでしょう。
偶像は偶像です。人を助けることはできないのです。初めはありがたい、もったいないと拝まれてもやがては朽ちてゆき捨てられます。私たちも、最初はありがたいもったいないと思っていても私たちを救うことのできない偶像に支配されてはいけないのです。


2,背負われる神

真の神は、私たちに背負われたり、世話になるような方ではありません。むしろ、私たちを生まれる前から、私たち自身を背負って下さる方です。
ある方は、親孝行の孝の字は、子が老人を負っていたわる姿だといわれましたが、それは麗しいものです。子どものいない方も大丈夫です。「わたしは背負う」といって下さる方があるのです。それは、イエス・キリストです。「すべて重荷を負って苦労しているものは私のもとに来なさい」(マタイ11:28)と、老人だけではなくすべての人を招いて下さり、また私たちの心も体も休ませて下さる方です。イエス・キリストは、足の萎えた人目の見えない人ありとあらゆる病気の人を癒され、死んだものをも生き返らせました。イエス・キリストは、私たちを生かし元気にして下さる方です。
しかも、年老いていても背負って下さいます。たとえ私たちが、重荷を負って苦労していても丸ごと背負って下さる方です。私たちは、自分の重荷は自分で背負わないといけない、そう思っているのではないでしょうか。
そうではないのです。重荷も自分もすべて、救い主キリストに委ねることです。キリストは私たちを滅びから救って下さる方です。私たちの罪とがの身代わりとなり、十字架にかかり命の償いをして下さいました。信じるなら、滅びから救われるのです。
そして、私たちを悩みから救われます。キリストは死の中からよみがえられました。死に対して復活の命をもって勝利されたのです。そのキリストは、弟子たちの中に現れました。彼らを励まし力を与えられたのです。そして、私たちを悩みの中から救い出して下さいます。「世に勝つ者はだれか、イエスを神の子と信じるものではないか」(?ヨハネ5:5)とヨハネはいいましたがイエス・キリストを信じる信仰によって私たちは、この世に対してもまた死に対しても勝利していくことができるのです。なぜなら復活の主が私たちを背負って下さるからです。


        (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)