柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「満ち足りる心」1テモテ6章3-6節

先日、先進国首脳会議が開かれました。経済的利益のことが話し合われましたが、果たして人間は物質的豊かさで満足できるでしょうか。最近起こった殺人事件でも、貧しさが原因ではなくむしろ人の欲によって引き起こされたのではないかと思います。私たちの豊かさは、物質的なものよりもむしろ精神的な者にあるのではないでしょうか。
私たちは、物質的以上に精神的な心のゆとり、満足、豊かさが必要ではないかと思います。


1,キリストの教え

おそらく最も有名なものは、山上の垂訓ではないかと思います。心の貧しい者は幸いである。天の御国はその人たちのものである。とキリストは言われ、平和を造り出す人は幸いである。彼らは神の子と呼ばれると言われました。
そして、今日多くの人がそのことを信じて実践しています。今日、地球が滅びないで存続しているのは、そのイエス・キリストの言葉を信じている人がいるからだ、と言った人もいます。インドのコルカタで一生をささげて奉仕した、マザー・テレサは150センチにも満たない小柄な人でしたが、彼女の心はイエス・キリストでいっぱいであり、そのキリストに仕え人に対する愛に満ちていたからであると言われています。
私たちも、小さな存在ですが、キリストの愛に満たされ、キリストの御言葉に従うときに、必ず心にゆとり、喜び満足が与えられるでしょう。


2,同意しない人

しかしまた、この世には同意しない人がいるのも現実です。パウロはテモテに、そのような人たちを注意しなさいと警告しました。いわゆる偽教師です。当時でも、偽物があらわれたのです。パウロたちのように、主イエス・キリストを語るものもいれば、そうではなく、律法主義・ユダヤ主義を語るものたちがいました。確かに彼らは、聖書をよく知っており、物事にも精通した人たちでした。
しかし、彼らはイエス・キリストに同意せず、逆に高慢になり、ことばの争いをする病気に罹っているとパウロは言いました。高慢というギリシャ語はのぼせ上がる、うぬぼれる「煙に取り巻かれている」と言う意味があるそうです。他人もその人が見えないし、自分自身も見失ってしまっている、ということです。それはまさに4節にあるように、病気、心=魂が病んでしまっている状態であり、神の愛が分からない、そして疑う、ことばの争いをする状態に陥ってしまっていると言うことです。その結果として、人を妬み、争いそしり、悪意の疑い、真理を失い、絶え間のない紛争となってしまうと言うことです。
それはまさに、的はずれ、悔い改めのない人間の「罪」そのものとなってしまう。罪はまさに魂の病であり、キリストの教会もむしばんでいくものとなると言うことです。


3,満ち足りる心

それでは、解決があるでしょうか。パウロは「満ち足りる心をともなう敬虔」こそ、大きな利益であると言いました。
禅の奥義は「吾、唯足ることを知る」だそうです。ただ、人生が「無」であって唯足ることを知るでは、創造的な豊かな人生であるとは言えないと思います。むしろ、噴水のように、泉のように内側から絶え間なくわき上がる豊かさが必要ではないでしょうか。
大きな利益を受ける道とはまさに、無尽蔵に溢れる恵みに与ることです。使徒ヨハネは、イエス・キリストを「恵みとまことに満ちておられた」と証ししました。キリストに満ちたれる恵みを見いだして彼は雷の子から愛の使徒に変えられました。前述のマザー・テレサも心の内にキリストの満ちたれる恵みがあったからこそ、コルカタの道で死にゆく人を看取ることができたのです。彼らは愛に満たされていたのです。そのキリストを受け入れるなら、へりくだってキリストに従う人こそ大きなかけがえのない魂の豊かさに与ることができるのです。


           (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)