柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「罪を赦されるキリスト」ヘブル4章13-14節

この手紙は、主にローマにいるユダヤ教から救われてクリスチャンとなった人たちに書かれた手紙であると言われていますが、今日でも私たちにキリストのすばらしさ、そしてなぜ私たちはキリストを信じなければならないのかを知らせています。


1,すべてを知っておられる神

聖書を見ますと、この世は勝手にできたものではなく、天地万物の創造主である神によって造られてことがわかります。ところが、神によって造られたはずの人間が、神の思いとはまったく離れて自分勝手に行動し、過ちを犯してしまいました。それは、今日に至ってもこの世には様々な苦しみがあることでよくわかると思います。
人間が勝手なことを行い、そして滅びへと進んでいくのです。今年は戦後70年を迎えますが、戦争は人間が起こしたものであり、偶然ではなく、欲に駆られて罪を犯す最悪のことであると思います。
それはアダムエバから始まりました。自分の失敗の責任を相手のせいにしたり、他人に転嫁する心があるのです。しかし、神様はすべてをご存じです。やがて私たちは神の前に出なければなりません。万物を創造された方がすべてを裁かれるときが来るのです。最後の審判があり、永遠の滅びか永遠のいのちか、神様が決められるのです。
私たちは、どう弁明するでしょうか。自分の正しさを主張出来るのでしょうか。あるいは放蕩息子のように、私は天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました。雇い人の一人にして下さいと言うのでしょうか。聖書は、私たちにどう応えるべきかを示してくれるものであり、私たちはまた、神様は私たちのすべてを知っておられることを知らせるものなのです。


2,私たちの救い主―キリスト

14節に「大祭司」とありますが、旧約聖書に出てくる神に仕える人です。神殿で神様に犠牲をささげました。それは、罪を赦してもらうためです。旧約聖書に出てくる大祭司はモーセの兄であったアロンの子孫が代々受け継いで大祭司となっていました。しかし、その大祭司は残念ながら人を救うことは出来ませんでした。なぜなら彼は私たちと同じ人間だったからです。犠牲は献げられても、罪を赦すことはできなかったのです。なぜなら、彼もまた私たちとまったく同じで、罪を持つものであり、自分も神の前に裁かれなければならなかったからです。
しかし、ここに一人だけ、罪を犯さなかった偉大な大祭司が出てきます。神の御子であるイエスです。彼は人となられた、神ご自身です。罪を犯されませんでした。しかし、私たちの罪を身代わりに負われ、十字架の上に犠牲となって罪を赦してくださったのです。
ですから、このイエスを信じるなら、私たちのいのちは永遠の滅びから救われます。
私たちは、自分で自分を救うことは出来ません。しかし、私たちには、救って下さる偉大な大祭司イエス様がおられるのです。
私たちは、ただ信じるだけです。イエス様が、私の罪を十字架で赦して下さった。愛しておられる、ただこのことを信じるだけです。それが私たちの信仰なのです。
空身になってあてにする、とよく言われていますが、すべてのものを解きはなち、空になり、自分自身も、全能の神の御手にゆだねることです。主は私たちを受けとめて下さり、滅びから救って下さるのです。


 (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)