柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストに仕える」1テモテ4章4-10節

6月第二日曜日は花の日、子どもの日です。今から約150年ほど前にアメリカの教会で始まりました。この時期はきれいな花がたくさん咲き、その花を持って日頃お世話になっている公共施設を訪問し、あるいは病気の人を訪ねて慰めと励ましを与える感謝の日としたのです。そして、子どもたちにもそのことを身をもって教える訓練の時ともなりました。
キリストに仕えることを訓練することは大切なことです。


1,すべては良いものである


神様の造られたもので何一つ悪いものはありません。「みな良い物で、感謝して受ける」(4節)とありますが、天地創造のときまさにそうでした(創世記1:31)。
私たちは食べる前に感謝の祈りをします。なぜでしょうか。その根拠は、5節にあります。神のみことばと祈りによって、聖別されるのです。それは、そのものが聖なる物と化せられることではありません。信仰によって食べてもよいということになります。旧約聖書では、清い動物と清くない動物がありました。それによって食べてもよいものと食べてはいけない物とが生じたのです。羊は清い動物ですから食べても良いのですが、豚は清くないので食べてはいけないとされていました(レビ11:7)。しかし今はどうでしょう。豚肉は食べても良いのです。汚れた物ではありません。神が清いとされれば、それで食べて良いのです。私たちは神のみことばによって聖いものとされます(ヨハネ15:3)。ペテロも異邦人伝道の時、神様から啓示を受け神が清いとしたものを清くないと言ってはいけないと注意され、ローマ人の救いがなされました(使徒10:15)。神は汚れたものをも聖くなされるのです。


2,敬虔を身につける

7節に「敬虔のために自分を鍛錬しなさい」とありますが、それは心を魂を強めることです。肉体の鍛錬も健康維持には必要です。それ以上の心の鍛錬魂の鍛錬も重要です。俗悪で愚にもつかぬ空想話を避けなさいとありますが、私たちの魂を養うのは空想話ではなく、6節にある「信仰のことばと良い教えのことば」すなわち聖書です。みことばほど私たちに力を与え、私たちの心を養い強めるものは他にはありません。まさに私たちはみことばによって、神の口から出る一つ一つの言葉によって生かされるのです。


3,神に望みを置く

この手紙はパウロがテモテに宛てた手紙です。エペソの教会を建てあげることは困難がありました。偶像礼拝の盛んな町であり、彼は年若く身体も強健ではありませんでした。しかし、御言葉に励まされ「生ける神に望みを置き」前進し、教会は成長したのです。
先週済州島に行きました。李基豊宣教師が107年前に使わされました。彼はならず者でした。アメリカ人宣教師にひどい怪我を負わせ、教会を破壊しました。しかし、イエス・キリストの十字架によって罪が赦され救われたのです。そして忠実なクリスチャンとなりました。召しを受け神学校に学び、済州島に遣わされたのです。困難を極めました。しかし、労し苦心して御言葉を宣べ伝えたのです。しかも、日帝時代に神社参拝拒否によって投獄され殉教されました。しかし、実は結ばれました。約50万人の島に、教会は380クリスチャンは4万人いるのです。一粒の麦が地に落ちて豊かな実を結んでいるのです。

(宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)