柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの良い奉仕者」1テモテ4章6-10節

テモテの手紙は、パウロがその弟子ともいうべき若いテモテを励ますために書いた手紙といわれています。しかし、この手紙は現代に生きる私たちクリスチャンにも大きな励ましとなります。


1,御言葉に養われる

今の時代はどんな時代かというと、1節に出てくる、惑わす霊、悪霊の教えによって信仰から離れる時代であるといわれています。洗礼を受けてもすぐだめになってしまう。なぜならこの世はサタンが支配し悪霊が働き、イエス様から離れさせようとしているからです。
それに打ち勝つものは何か。信仰のことばであり、良い教えのことばです。すなわち聖書のことばであるということです。聖書は神のことばです。そのことは?テモテ3:15〜17を参照して下さい。私たちは御言葉によって勝利できるのです。「十字架の言葉は、滅び行くものには愚かであるが、救いに預かる私たちには神の力である」(?コリント1:18)の通りです。御言葉によって私たちは神様から励ましを受け慰められ、力を受けることができるのです。サタンは私たちに否定的なことを言います。そして、心を暗くするのです。しかし神の御言葉はサタンの業を打ち破り、喜びが与えられます。食物のことが出て来ますが、神が造られたものとして感謝して受け取るなら何一つとして捨てるべきものはないのです。そこに侵攻の勝利が与えられ感謝することができるのです。


2,敬虔を修行する

7節に「敬虔のために自分を鍛錬しなさい」とありますが、文語訳では「敬虔を修行せよ」とあります。それは、肉体の鍛錬というよりは魂の鍛錬、心の鍛錬です。
今、冬季オリンピックが開かれています。羽生選手が金メダルを獲得したことは大きな喜び、感動でした。怪我を克服し、全力で競技に励んだ姿は輝いて見えました。それは訓練の賜物であっただろうと思われます。元々、オリンピックはギリシャで始まり、都市間で競争するものでした。若者たちは体育学校のようなところで厳しい訓練を受け、試合に臨んだのです。スパルタという名前も都市の名前であり、厳しい訓練で有名になりました。彼らは裸で競技しました。それこそ身についているものはかなぐり捨て、栄冠を目指したのです。
それだけ厳しいものがありましたが、その結果栄冠を手にした人にはそれは大きな喜びであり、勝利の栄光であったのです。パウロもまたその競技を見たでしょう。その中で、彼は信仰の訓練、敬虔の修行、まさに神の前に裸で、十字架の前に出なければ、信仰の訓練とはなりません。ありのままの自分をさらけ出して、悔い改めるべきは悔い改めて、十字架の前に整えられなければならないのです。
私たちがこの敬虔を修行するなら神様は素晴らしいものを与えて下さいます。今のいのちと未来のいのちの祝福です。この世では得ることのできない永遠のいのちを与えて頂くことができるのです。


3,生ける神に望みを置く

敬虔を修行することは一時の問題ではありません。この地上に生きている限り、敬虔の修行です。敬虔とは、神を畏れて御前にへりくだって生きることです。絶えず謙遜であると言うことです。これは自分の力ではできません。肉の力で行うことはできないのです。真に私たちのうちに働いて慰めを与え、励ましを与え、力を与えて下さる聖霊によらなければ敬虔に生きることはできないのです。しかし、もし私たちが自我を十字架につけ、内にいますキリストによって生きるなら、私たちは苦しみの中にあっても、生ける神に望みを絶えず置くことができ、信じる者に与えて下さる全き救い、完全な救いが与えられるのです。信じるならどんな悩み事でも、苦しみでも十字架にかかり死の中からよみがえられたキリストが必ず私たちを救い出し、栄光の御座へと引き上げていのちの冠を与えて下さるのです。


             (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)