柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「勝利の信仰」1ヨハネ5章5節

四月も終わりになり春らしい暖かな気候となりました。先日、大和川沿いの国道を車で走っていると、鯉がたくさん大和川の上を泳いでいました。鯉と言っても本物の鯉ではなく鯉のぼりです。


1,命のすばらしさ

その時ふと一つの話を思い出しました。ある方の話曰く、険しい山奥に川が流れていて、ふと見ると上流から丸太が流れてきたそうです。よくこんな大きな木が流れてくるものだと思うほどの大きな木だったそうです。そして川の中を見ると魚の影が見えました。数匹の魚が群れをなして、その流れに逆らってクイクイッと水の流れをくぐり抜けるようにして泳ぎ、上流の方に行ったそうです。それを見て、たとえ大きくても命のないものは流される、しかし、たとえ小さくても命のあるものは、流されないで上に向かって進むことができると思ったそうです。
私たちの人生もある意味では川の流れのごとく、急流激流があります。時には悲しみや苦しみの流れに押し流されそうになります。しかし、命があるなら私たちは押し流されません。小さな魚のように、流れをかいくぐって、上に進んでいくことができるのです。
私たちに一番必要なのは、その流れに流されない命です。命のあるものは、上に向かって進んでいけるのです。命のない者はたとえ、この世の権力や富があったとしてもこの世の流れに流されて行くのです。


2,罪に勝つ

キリスト教の素晴らしさは何かというと、一つは、罪に勝つ力が与えられると言うことです。私たちの最大の敵は、死です。なぜ人間は死ぬのか、聖書ははっきりと、私たちが罪を犯したために、栄光を受けられず、更に死んでしまう。滅んでしまうと言っています。私たちが死ななければならないのは罪が原因であると言えるのです。
アダムとエバは、自分の欲と悪魔の誘惑に負けて、罪を犯し神様から離れていきました。そして、呪いを身に受けるものとなったのです。
しかし、私たちには、罪から私たちを救って下さるイエス・キリストがおられます。アダムからの罪を、イエス・キリストは断ち切って下さるのです。
どのようにしてでしょうか。それは、十字架によって、罪の滅びを断ち切って下さいます。私たちは、アダム以来の心の弱さ、誘惑に負けてしまう性質があります。そして、罪を犯し失敗してしまうのです。そのような私たちのために、キリストは私たちの罪の報酬、死を身代わりに受けて下さったのです。そのしるしが十字架でした。これは歴史的事実です。キリストが十字架に死なれたことはだれも否定できません。
問題は何のためかです。自分の罪のために死んで下さったと信じるなら、私たちは、罪に打ち勝つことができます。なぜなら十字架には力があります。十字架の死によって罪が赦され、新しい命に生きることができるのです。


3,イエスを信じる

それはイエスを神の子すなわち、神ご自身であると信じるなら、私たちには罪に打ち勝つ力が与えられるのです。
アウグスチヌスと言う人がいました。彼は素晴らしいキリスト教の指導者であり、立派な働きをしました。しかし、以前は酔っ払いであり不道徳な人間だったのです。しかし、聖書を通して、イエスを神の子と信じました。彼の人生は変わりました。それは、罪に打ち勝つ人生、誘惑に勝利する人生に変えられたのです。 彼はもう後戻りしませんでした。キリストによって、心満たされ、将来に希望を持ち、さらには悩んでいる人に励ましを与える人に変えられたのです。
世に勝つもの、罪に打ち勝つものはだれでしょうか。イエスを神の子と信じる者なのです。


             (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)