柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「祝福は 神への信頼を通して」創世記22章1-18節

1.神は人間の命を犠牲にせよと要求しておられるのではない[1-2節] 

(1)他人を犠牲にする人柱の宗教は、古代オリエントにもあった。神の名で人名を奪い復讐心を満足させるテロは、イスラム教ではない。国のために戦って死んだ者を讃える軍国主義の宗教。

(2)自己犠牲が日本人の道徳美学である。しかし神風特攻隊で国や愛する人が幸せになる訳ではない。神は私たちの誰が死ぬのも喜ばない。「生きよ!」と言っておられる [エゼキエル18:32] 。 
(3)羊の犠牲を捧げる(創世記22章の出来事を記念)のがイスラム教。しかし「天国行きか地獄行きかは裁きの日までわからない」。人間の払い得るどんな犠牲も、天国を保証しない [ヘブル10:3-4]。「われは大きな犠牲(天からの羊)で アブラハムを贖い、末永く彼のために(この祝福を)留めた」というコーランの言葉(37:107-108)は、神の小羊イエスを受け入れた者が喜べる。


2.理解できぬ命令にも、なぜアブラハムは従ったのか [1-10節] 

経験を通して「自分は信頼できない、神は信頼できる」と謙虚に悟っていたから。
(1)権力者を恐れて本心を偽ったこと [創世記12:10-20,20:1-17]。
(2)勝手な方法で禍根を残したこと[16:1-16,21:9-21]。しかし毎度あわれみ深く回復の道を備えて下さった神。意地悪ではなく平安を与えるご計画[エレミヤ29:11]を信じよう。私にはアブラハムのような謙虚な自覚があるだろうか!?


3.犠牲を払って私たちにいのちを下さった神を信頼しよう [11-18節]

なぜ息子イサクは逃げなかったのか?神に信頼し切った[5,8節]父親を見ていたから。神はご自身への信頼を喜び、裏切らない。「わたしもひとり子を惜しまない」。私たちのために犠牲の羊とされ[ヨハネ3:16,マルコ15:34] 、それでも御父を信頼し通したイエス様 [ルカ23:46] 。そのイエス様をよみがえらせた神を、私たちは信じる。自分の生涯を通して「不信仰な罪人を選び、真実な者に造り変えて下さる神」を周囲の人に知って頂こう。