柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「試練を耐える幸い」ヤコブ1章12節

この手紙は、主の兄弟であったヤコブが書きました。彼は救われキリストの弟子となり、さらにはエルサレムの教会の監督にもなりましたが何よりも、しもべとしての生涯をまっとうし、殉教したともいわれています。そのヤコブが世界に離散して、苦しみの中にいる兄弟たちを励ますためにこの手紙を書きました。


1,試練を耐える幸い

神様を信じると試練がなくなるのか、答えはノーです。試練はあります。試練は苦しいものですが、ある意味で素晴らしいものです。そして、クリスチャンにとっては意味ある素晴らしいものです。なぜなら、試練から素晴らしいものが出てくるからです。それは忍耐です。ローマ書でも5:3に「患難が忍耐を生じ」、さらには練られた品性、希望が生み出される(ローマ5:4)と言っているのです。
ヤコブの手紙でも1:4で、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となりますと約束されています。恩師の小島伊助先生は、クリスチャンの方程式を語られました。信仰×試練=信仰−かす+忍耐=全備して無欠のキリスト者と言われました。神が与えて下さる上からの忍耐は、栄光の輝き、練られた品性となって私たちの内から表されていくのです。特に殉教の試練を受けた人たちは、その輝きに溢れていました。私たちも、試練に耐えるならその輝きと喜び勝利が私たちにも豊かに与えられるのです。それが、クリスチャンの幸いです。


2,いのちの冠が与えられる

そして、もう一つ素晴らしいものが与えられます。それはいのちの冠です。この冠は王冠のような冠より、むしろ月桂樹で編んだ、マラソンランナーの優勝者に与えられる冠のようなものであろうと言われています。そして、この冠の言葉はステパノという言葉が使われています。ステパノはキリスト教最初の殉教者でした。彼は栄光と勝利に満ちて、天国へ凱旋したのです。
私たちにも同じ、栄光・恵みが与えられます。それは何によってでしょうか。神を愛するということにおいてです。神を愛する者にいのちの冠は約束されています。そして、その愛は熱心な愛です。愛されるから愛する愛ではありません。自分から進んで、積極的に愛する愛です。まさに、十字架の愛です。私たちを罪の滅びから救うために、キリストは十字架にかかられました。そして、罪を赦して下さったのです。それが愛です。その愛のゆえに、私たちはお互いに愛し合うことが可能となりました。教会ほどいろんな人が集まっているところはありません。しかし、十字架の愛はそれを可能にします。その愛によって私たちは、互いに愛し合い、キリストの命令をまっとうすることができるのです。そして、愛の裏返しが、絶えること忍耐です。愛と忍耐は裏表です。引き離すことはできません。耐え抜いて良しと認められた人はいのちの冠を受けるのです。認めて下さるのは誰でしょうか。それを審判されるのは誰でしょうか。イエス・キリストです。イエスこそ、審判者にふさわしい方です。なぜなら、私たちのために十字架にいのちを捨てて、愛された方だからです。そして、その方が私たちにいのちの冠を授けて下さるのです。
そのことを、心に覚えつつ、信仰の忍耐と神の愛をいただいて、人生のレースを走り抜かしていただこうではありませんか。

      (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)