柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「喜びあふれる」ヨハネ4章14節

水は私たちにとっては欠かせないものです。食事は減らしても良いのですが、水は飲まないと命に関わってきます。
エス様はサマリヤへ行かれました。その当時ユダヤ人はサマリヤへは行きませんでした。サマリヤ人を嫌っていました。それにもかかわらず行かれたのです。そこに救われるべき人がいたからです。
井戸のそばに来られたときサマリヤ人の女に話しかけられました。そして、水を飲ませてほしいと頼まれたのです。普通そんなことはあり得ませんでした。しかし、イエス・キリストは謙遜であり、また私たちに近づいて下さる方です。
そのイエス様がなんと「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」と約束されたのです。
この女性は渇いていました。心が渇いていたのです。先には5人の夫がありました。そして、今一緒に住んでいるのは夫ではないのです。彼女の生活はまさに砂漠のような殺伐としたものでした。そして、人と顔を合わせることができない惨めで後ろめたい生活をしていたのです。その女性を救うために、イエス・キリストは来られ、彼女に命の水を与えられることになったのです。


1,この世の喜び

この世にも喜びはあります。仕事を一生懸命して、お金が儲かる。また、勉強をして良い学校に行く。人付き合いがうまくて友だちもたくさんいる。幸せなことです。しかし、それは私たちの心を常に満たす、絶対的なものでしょうか。仕事もうまくいかなくなり、失敗することもあるでしょう。また、人間関係でも、都合の良いときはチヤホヤされても、それが冷めてつめたくなるときもあるのです。お金で薬は買えても命は買えません。つかの間の喜びはお金で買えても、永遠の喜びはお金で買えないのです。


2,心のむなしさ

そして何よりも、私たちの心はこの世のもので満たされません。聖書の中に、この世で一番賢い、また大金持ちであったソロモンと言う人が出てきます。彼もこの世の栄華を極めた人でしたが、「空の空、一切は空である」と心のむなしさを嘆いたのです。
大事なことは、どんなことがあっても、またどんな境遇でも心が満たされることではないでしょうか。イエス・キリストは「この水を飲む者はだれでも渇きます」と忠告されたのです。


3,キリストの与える水

しかし、キリストの与える水は渇くことがないと言われました。わき上がって次から次へと出てくるのです。まさにそれは泉です。汲んでも尽きないのです。
しかもキリストが与える水は「その人のうちで泉となり」と、内側からわき上がる水なのです。外側から来るのではなく、内側に与えられ、内側から喜びが湧き溢れるのです。ですから、キリスト教の喜びは、金持ちになったとか、病気が治って良かったというだけのものではなく、たとえ貧しくとも心から喜びがわき上がる、たとえ病気であっても心は平安だ安らぎがあるといった喜びなのです。
たとえ外側は変わっていなくても、内側から永遠のいのちの喜び、感謝、力がわき上がってくるのです。
それはどのようにして得られるでしょか。キリストのもとに行くことです。イエス・キリストはすべてをご存じです。あなたの心の重荷も苦しみも悩みもすべて知っておられます。そのキリストにゆだねるなら、解決して下さいます。なぜなら、十字架の上であなたの罪を背負われ、命をもって償って下さったからです。
あなたの罪はすべて、十字架で赦されたのです。そのことを信じましょう。そして、約束どおり永遠のいのちへの水を与えていただきましょう。

          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)