柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主の日の恵み」 マタイ12章1-4節

日曜日は休みの日です。しかし本当の休息を得ているでしょうか。私たちにとって本当の休みとは何かを考えてみたいと思います。


1.安息日の意味

日曜日を聖書では安息日と言っています。元々は、聖書の創世記の所から来ています。神は六日間かかって天地宇宙全てのものを造られました。そして七日目に全ての業を休まれ、この日を幸いなものとし、聖であるとされました。(創2:1〜3)そしてエジプトの奴隷の生活から救い出されたイスラエルの民に安息日を覚えて聖とせよ(出20:8)と命令さましたが、彼らは神を忘れ、ないがしろにしました。そして自分勝手なことをおこない、呪いを招いてしまったのです。安息日は元来、仕事をやめ神を礼拝する意味があります。神の恵みに応答する礼拝の日でした。安息日があるのは私たちの命を守るためにあります。神が私たちに与えて下さった幸いの日です。


2.安息日の主はキリストである

8節に「人の子は安息日の主です。」とありますが人の子とはイエス・キリストのことであり、キリストこそ私たちの中心です。それはキリストが真の神、救い主だからです。私たちの生活の中に救い主キリストがあがめられ、礼拝されるべきです。そのことは、聖書全体を読むと分かって来ます。黙示録にも神の小羊キリストが礼拝されているのです。
あの安息日の日、キリストは人を癒されました。当時の人は癒しの行為を労働と考えて禁止していました。しかしそれは本末転倒であり、人の命が救われることが大事です。
エス様は羊より人間の方が遙かに値打ちがあるといわれました。そういわれたばかりか、萎えた人の手を癒し、伸ばされたのです。まさにそれは7節で言われた言葉を、実行された事です。キリストは憐れみ深い方なのです。
賛美歌312番は、悲しみの中から、心癒され救われた人の証しの歌です。作者のスクラヴェンはなんと二度にわたって、婚約者を失ってしまったたのです。それでも彼は心の底からイエスは慈しみ深いかた、真の友だと賛美したのです。
私たちにもキリストは憐れみ深い友となって下さいます。事実、キリストは私たちの罪を負って、死んで下さいました。そして死の中からよみがえられ、弟子たちに現れ、勇気づけられたのです。
ですから、イエス・キリストが復活された日曜日の朝、私たちは教会に集まり、神を賛美するのです。


イエス・キリストこそ、真の神、救い主です。私たちを癒し、慰め、復活の命を与えて下さいます。キリストが共におられることを喜び、感謝を献げましょう。それが真の安息、主の日です。


                                (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)