柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「人生の転機」  創世記17章1-5節

今日は聖書の創世記というところから学びます。創世記とは「はじめ」と言う意味があります。この世のはじめ、人間のはじめ、そして信仰のはじめ、アブラハムと言う人を通して、真の神を信じるすばらしさを知ることができます。何がすばらしいかというと。


1.人生チャンスは二度ある
信仰の世界はたった一度だけのチャンスではありません。二度あるのです。それはアブラハムの生涯を見て、知ることができます。彼の一番最初の信仰のきっかけは12章に出てきます。彼は元々カルデヤのウル、今のイラクあたりの出身でした。そこから彼はカナンの地を目指したのです。今のイスラエルパレスチナです。神様は「わたしの示す地に行きなさい。」と言われ、そうすればあなたを大いなる国民とし祝福すると約束されました。彼は従い、そして神に守られ、祝福を受けるものとなったのです。
しかし、彼の人生は飢饉があったり、妻との争いや家庭不和などいろんな問題が生じていました。神様を信じたら何にも問題は起こらないと言うことではありません。違うのは、たとえ問題が起こっても神様は必ず解決して下さる、ということです。そして祝福―すなわち幸せを与えて下さるのです。詩編46:1「神は我らの避け所悩めるときのいと近き助け」とあるように、困ったときにすぐ、神に祈り求めることができるのです。
そして神様は、17章で二度目に彼に現れたました。「わたしは全能の神である。」とはっきり言われました。「わたしの前を歩み全き者であれ。」と命令されたのです。全き者とは完全なものとの意味です。でもわたしたちは完全な者、罪を犯さない、やること全てが完璧な者になれるでしょうか。


2.信仰によって完全となる
1節で「わたしの前を歩む」とは、神の前で生活する、神と共に生きると言うことです。そして、全き者は行いが完全である、失敗しないという意味ではありません。信仰によって神の前に完全なものと見なされる、認められるということです。
その証拠に彼は同じような過ちを犯しました。12章で飢饉がありエジプトに行きました。彼は妻サライを妹と偽ったのです。そしてエジプトのパロはひどい目にあいました。ところが、20章でゲラルという所へ行ったときに、王アビメレクに同じように妹と言ったのです。しかし、神はアビメレクの夢の中に現れ、そしてアビメレクはアブラハムに多くのものを与え、またアブラハムが祈ったとき、神はアビメレクに祝福と回復の恵みを与えられたのです。アビメレクの家のものは癒されたのです。ですから、先のエジプトの時とは違って、神が現れ、苦しみを恵みに、そして困難を益と変えられたのです。それが神の祝福なのです。
信仰とは不思議です。自分ができないのに、力もないのに、神はできるものとして下さるのです。それが実は全能の神であり、わたしたちを変えて下さる方。そして恵みのわざを行って下さる方なのです。
彼はここで名前が変えられました。アブラハムからアブラハムに変わりました。ハが入るだけで意味が変わります。アブラムとはいと高きものの父という意味です。それは地位の高い人、位の高い人と言う意味なのです。その人が、アブラハム―すなわち多くの国民の父、多くの人たちの祝福の基となりました。それだからこそ、窮地に陥り滅びそうになった甥のロトを助けることもできたのです。
わたしたちもまた、アブラハムのように祝福、幸せをもたらすものになることがでます。それはローマ書4章にアブラハムの信仰のことがでていることで分かります。ローマ4:19に死んだも同然、でも信仰は弱らないとあります。ますます(信仰は)強くなり、21節固く信じた、とあります。それは100%神に信頼することです。そして、わたしたちも復活のキリストを信じるなら、神は義と認めて下さいます。そして、豊かな祝福を与えて下さるのです。
わたしたちも神を100%信じ、全てをお任せし、そして神の祝福に預かりたいと思います。


                           (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)