柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「信仰に立つ」へブル12章11~17節

 9月最初の日曜日は、振起日礼拝の日となっています。アメリカの教会に起源がありますが、秋に向かって私たちの生活も実り豊かにさせていただきたいと思います。
1,平安の実を結ぶ
 この手紙は、1世紀後半のユダヤ人クリスチャンに宛てて書かれた手紙であろうと言われています。迫害が激しく、後戻りする人たちもいたでしょう。その人たちを励まし、信仰に励むことを勧めています。
 12 章には訓練という言葉が沢山出てきます。この世の試練はまさに信仰の訓練です。
スポーツ選手は、競技に勝つために練習―訓練をします。そのためにはコーチも必要です。私たちは言うなれば、日々の生活が訓練であり、やがて神様の前に立つときが、その報いを受けるときとなります。 11 節の終わりには「義という平安の実を結ばせます」と約束があります。たとえ人生が激しい戦いの連続であったとしても、その終わりが平安であるならなんと幸いであろうかと思います。義と言う言葉がありますが、正しいという意味です。正しさがなければ平安はありません 。悪を行っていて平安を得ることはできません。それではどのようにして、義という平安の実を得ることができるでしょうか。
2,聖さを求める
 真の平安を得るために、しなければならないことが 14 節に出ています。聖さを求めることです。その聖さとは、 10 節にある霊の父、すなわち全能の神様の聖さです。それは神様ご自身が聖なる方であり、私たちに求めておられるのは私たち自身も聖なる者となることを求めておられるのです。
その理由は、聖さがなければ、だれも主を見ることはできない。神様の御心が分からない、従うことができないからです。
 その一例として、エサウという人が取り上げられています。旧約聖書に出てくる人です。アブラハムの孫でした。彼の失敗は何だったのか。それは、一杯の食物と引き替えに、自分の長子の権利を売ってしまったということです。これは次男のヤコブにだまされてしまったことですが、彼はあまりにも無頓着であり、また神様の祝福ということを受け止められなかった、つまりはこの世のことにしか関心がなく、霊の世界すなわち神様が祝福して、事態を好転させて下さることが分かっていなかったのです。おそらくそれが分かっていれば、自分の長子の権利を一杯 の食物と引き替えることはなかったと思います。後になって祝福を受け継ぎたいと思っても退けられてしまったのです。しかし幸いなことに、私たちには教訓としてこのことが知らされています。この手紙を通して神様は大切なことを教えておられるのです。
 それは、15 節にある「だれも神の恵みから落ちないように」と注意が語られています。恵みはだれにでも与えられます。しかしそれを受け損なってしまうと何にもならないのです。ですから、私たちはそのことが分からなければならない。聖められなければならないのです。何が私たちを聖めるのか。十字 架の血潮です。御子イエスの血がすべての罪からわたしたちをきよめてくださいます(Ⅰヨハネ 1:7) 。
 そして具体的なことは何かといえば、 12 節にある「弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい」とあります。それは祈りを意味しています。ひざまずき、手を上げて祈る姿勢を示しています。私たちはまず神様に祈ることです。どのような問題でも神様に聞いていただき、解決を与えていただくことです。
 そしてもう一つは、まっすぐな道を作ることです。それは自分の足のため、また足の不自由な人、すなわち信仰の弱い人が踏み外すことのないよう に、また、つまずくことがないように、まっすぐな平坦な道を作ることです 心の内の苦い根を取り除く 申命記 (29:18) 。それは、すべての人との平和―なかよくなることです。それが教会の姿であろうと思います。そして、この手紙を読んだクリスチャンたちは、この教えをいただいて、勝利の道を歩んでいったのです。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)